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年末に総合格闘技新イベント「RIZIN」 冬の時代から復権誓う

[ 2015年12月21日 11:11 ]

格闘家たちの会見を身守る(右から)高田延彦・RIZIN統括本部長と榊原信行氏

 エメリヤーエンコ・ヒョードル(39)や桜庭和志(46)らが参戦する総合格闘技の大会「RIZIN」が29、31日にさいたまスーパーアリーナで開催される。仕掛け人は00年代のブームに火を付けた「PRIDE」を手掛けたRIZIN総合プロデューサーの榊原信行氏(52)。8年前のPRIDE消滅以降、冬の時代を迎えた格闘技の復権を願い、再びリングに戻ってきた。

 「興行はばくち。そりゃ怖い。むっちゃ怖いですよ」。RIZINヘビー級トーナメントの発表会見を終えたばかりの控室。マッチメーク、選手との交渉、演出までを決める総合プロデューサーの榊原は苦笑いで、そう答えた。夢のあるカードが並ぶ大会。ファンの思いをかなえる裏にはリスクが付いて回る。

 「金を出し惜しみしたら良いカードが組めない。金を残そうとは思わず、とことん突っ込んで結果を出す。金を残そうという人は興行をやめた方がいい」。予算を組むにしても、チケットの売り上げは読み切れない。放映権料、事業協賛など二次的な権利でリスクを減らすのも仕事の一つだ。今回はPRIDE時代にもなかった破格の10億円以上の興行でもある。

 実行委員長の榊原はスポークスマンの役割も担う。記者会見ではメディアに向け大会の概要などを説明。ヒョードルの相手シング・心・ジャデイブが沖縄で会見を開けば、現地まで飛んでいく。深夜まで続くことがある会議ではスタッフの意見を集約し、方向性を決める。9月までは米国やブラジルなど10カ国以上を回り、プロモーターと話し合って王者クラスの選手の参戦を取り付けた。寝る間も惜しんで成功に懸けている。

 準備は昨夏にスタートした。課題は引退したヒョードルの担ぎ出し。最初は「NO」を突きつけられたが米国やロシアに足を運び10カ月以上かけて粘り強く交渉。「やって後悔するのか、やらずに後悔するのか」。リングに戻りたくなる言葉を投げかけ続け、復帰を引き出した。「断られてからが仕事」というのが榊原の信条であり、一度決めたら口説き落とすまで諦めない。

 「思い描いたマッチメークが実現して凄い試合でファンの熱狂している姿が最大の喜び。試合が全部判定とか大ひんしゅくだと集客も落ちる。だからトータルで良いイベントを見せたい」

 もともと東海テレビ事業の社員だった榊原は、96年に名古屋で高田延彦のプロレス興行を手掛けたことで、この世界に足を踏み入れた。打ち上げで泥酔した高田は泣きながら「ガチンコでヒクソン・グレイシーかマイク・タイソンとやりたい」と訴えた。その言葉に突き動かされた。

 実現に向けて奔走し、97年10月に東京ドームでの高田―ヒクソン戦にこぎつけた。結果は1R4分47秒、ヒクソンが腕ひしぎ十字固めで勝利。あっけない幕切れに観客は声を発することもできなかった。「興行としては大失敗。会場がお通夜のようにシーンとしていた。結果を見て運営本部で動けなくなった。ただ、負けたから次があった。高田さんも“これからが始まりだ”と言った」

 第4回の大会までは赤字で4億円弱の借金がかさんだ。榊原は02年にテレビ局を辞め、PRIDEの代表として本格的に興行に携わる。悔しさをバネに、その後、PRIDEはブームを巻き起こす。07年には、米国の「UFC」が爆発的人気となり、ファイトマネーが高騰。PRIDEは資金力不足に陥り、存続を願ってUFCに身売りした。消滅後はサッカー界に身を転じていたが、復活の思いは心の底で燃え続けた。

 「営業権を譲渡した時、ワンオーナーの下、日本と米国で戦いが続くと思っていたが、大会は一度も行われなかった。結果的に、ファンにウソをついてしまった。そこが戻ってきた大きな理由」

 格闘技を再び世間に届かせるには地上波の存在も欠かせない。榊原はフジテレビを10カ月間かけて説得し、年末の放送を決めた。ここ数年の同局の視聴率はジリ貧で、結果を出さなければならない重圧もある。31日は入場の演出も一新する。

 「格闘技はあらゆる人種と出会うことができるエキサイティングな仕事。日本には武道の国というブランド力もある。それをアドバンテージにしてつくっていきたい」

 曖昧模糊(もこ)とした時代に、リング上ではっきりと決着をつける格闘技は興奮を呼び、分かりやすいカタルシスがある。唐突な消滅騒動がなければブームは続いていた可能性もあり、冬の時代とはいえ、RIZIN誕生は必然だったのかもしれない。格闘技界は年間500億円を稼ぐといわれるUFCが市場を独占する中、勢力図を塗り替えるには実力ある若手をいかに確保するかがテーマ。ビッグネームに頼らなくなった時、本当の熱は戻ってくる。 =敬称略=

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