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興毅「大阪サイコー!」10月に右手骨折もKOでV3!

[ 2011年12月8日 06:00 ]

4R、マシアスの顔面を捉える亀田興毅

「亀田祭り」WBA世界バンタム級タイトルマッチ 亀田興毅(25=亀田)―マリオ・マシアス(26=メキシコ)

(12月7日 大阪府立体育会館)
 亀田3兄弟の長男・興毅はマシアスを4回KOで下し、3つ目の王座で自身初の3度目の防衛に成功した。右手甲の骨折が癒えたばかりだったが、左を軸に序盤から主導権を握り、3度のダウンを奪って圧倒した。2階級制覇を狙った次男・大毅は王者テーパリットに0―3の判定で敗れ、興毅に続く国内初の兄弟での複数階級制覇に失敗した。三男・和毅は7回KOでガルシアを破り、来年の世界挑戦へ前進した。

 1回、3回とダウンを奪い、迎えた4回。会場の声援に後押しされ、興毅は前に出た。相手をコーナーに追い詰めると、2度のダウンを奪った左でボディーをえぐり、3度目のダウン。10カウントを聞かせた。

 世界戦では初防衛戦以来2度目のKO勝ち。興毅は「大阪、大阪サイコー!調子いいのは大阪のおかげやな。きょうはバンタム級で一番いい出来やったと思う」と故郷で最高の笑顔を見せた。

 「ええ感じでジャブが入った」。右ジャブを使ったことで相手が右を警戒。その効果で得意の左カウンターが鮮やかに決まった。自画自賛の「理想的な」ボクシングで今年最後の試合を締めた。

 世界12位の格下との対戦にも「今回の試合は不安が大きかった」という。試合後の会見でも最後までひた隠しにした事実があった。10月中旬、アクシデントが興毅を襲った。右手甲の骨折。練習中に違和感を覚え病院に直行。「全治1カ月半の骨折」と診断された。

 それ以降、試合までスパーリング回数は0。ミット打ちもできなかった。拳に負担をかけないようリング上での練習も、相手と一定の距離を置き力を抜いて“寸止め”のパンチを放つマスボクシングに限定した。11月26日の公開練習でも、右を使わなかったが「左を強化してる」と言ってごまかした。「骨はつながった」が、痛みも残り「また折れるかもしれない」という恐怖心もあった。一方で、ケガの功名もあった。左を重点的に練習したことで、さび付いていた左がよみがえった。

 世界初挑戦となった06年8月のランダエタ戦でも、試合前に左手甲を負傷し、グローブを使った練習は禁止された。当時も「負けた時の言い訳にはしたくなかった」と19歳の興毅はケガを明かさず気合でベルトをもぎ取った。この日も「気合で乗り切る」と自らに誓い、痛む右拳を「痛かったけど、打ち込んだ」。11月下旬には大毅が患っていた結膜炎に感染したが、それも克服した。試合後は真っ赤な目を細めた。

 苦難を乗り越えてつかんだ3度目の防衛。それでも「一発で沈めなあかん」と反省も口にした。次戦は指名試合となる方向。最強挑戦者を迎えてもKO防衛してこそ「亀田とKOはセット」の決めぜりふが復権を果たす。

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