【内田雅也の追球】心理複雑なフルカウント 阪神、勝機去った痛恨のランエンドヒット・三振併殺

[ 2020年9月24日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神0-4DeNA ( 2020年9月23日    甲子園 )

<神・D(18)>6回無死一塁、近本は空振り三振に倒れる(投手・上茶谷)(撮影・坂田 高浩)
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 江夏豊が阪神から南海(現ソフトバンク)へのトレードを通告された1976(昭和51)年1月19日、<はっきり言って、僕は南海に行く気はなかった>と自伝『左腕の誇り』(新潮文庫)に記している。引退まで考えていた江夏を翻意させたのは南海監督(捕手兼任)・野村克也の絶妙な口説きだった。

 通告から数日後、江夏と会談した野村は「おい、おまえ、あのとき意識してボールを放ったろう」と指摘した。江夏にとって阪神で最後の勝利となる75年10月1日の広島戦(甲子園)。7回表1死満塁で衣笠祥雄をフルカウントからボール球を振らせて三振に取った。<絶対振ってくるという確信を持ってボール球を放った>という自慢のシーンだった。

 江夏は<そんなことを覚えているのか、という驚きと喜び>を感じ、移籍に気持ちが傾いた。トレードは1月28日、正式発表となった。

 もう後がないフルカウントで、打者は複雑で微妙な心理に陥る。投手は四球を避け「ストライクを放ってくるはずだ」と打ち気になる。

 現役時代捕手だった木戸克彦はコーチ時代、バッテリーに「フルカウントは振るカウント」とボール球で誘う術を指導していた。ただ、あえてボール球を放る投球術は相当な技がいる。

 似た状況が走者一塁でのフルカウントである。特に走者スタートのランエンドヒットの際の打者の心理だ。ボール球でも当てなければならないヒットエンドランとは異なり、ボール球ならば見送ればいい。四球である。

 だが、先に書いたように「ストライクが来るはずだ」との思いが働く。ボール球を見逃せる選球眼――自制心や辛抱――が問われる。

 この夜の阪神はこのランエンドヒットで喫した三振併殺が痛かった。1点先取された直後の6回裏無死一塁、打者・近本光司。フルカウントで走者スタート、近本は内角低めにワンバウンドするカッターを空振りし三振し、走者は二塁憤死、併殺で好機は去った。

 勝負の世界でタラレバは禁句と承知したうえで書けば、四球ならば無死一、二塁。同点、逆転も望め、その後の継投策もまた違っていたろう。

 近本自身ももちろん見極め、見逃したかったろう。その悔しさは想像がつく。彼はセ・リーグ打撃30傑で打率10位(・290)ながら、四球は圏外の31位(18個)。見るよりも打って出るタイプの1番である。

 結果的に完封を許したDeNA・上茶谷大河があえてボール球を投げたのなら、脱帽するしかない。明暗を分けた1球だった。

 最後に一つ。江夏が自伝で記したボール球で衣笠を空振り三振にとったシーン。当該試合の記事を見返すと、1死満塁という状況はない。衣笠は2度空振り三振を喫しているが、6回表1死と9回表先頭である。記憶違いではないだろうか。

 この試合、江夏は無四球だった。無四球試合がかかっていた9回表先頭の空振り三振ではないだろうかと推測する。スポニチ本紙記事(大阪本社発行版)に<9回、衣笠に粘られながらも三振に打ち取った。ボール球を空振りさせた>とある。

 同書発行は2010年。2017年に日本経済新聞紙上で連載された『私の履歴書』では<シーズン終盤の試合><2死満塁><内角高めにボール球を放った>となっている。=敬称略=(編集委員)

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