野球殿堂入りした星野仙一と平松政次−−岡山県が生んだ2人の巨人キラー(6)

[ 2017年1月25日 09:40 ]

2013年11月3日、日本シリーズで巨人を下し、楽天球団創設9年目で初の日本一に輝いた星野監督は、ナインの手で9度宙を舞う
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 【永瀬郷太郎のGOOD LUCK!】現役引退後はユニホームを着る機会に恵まれなかった平松政次さんに対し、星野仙一さんは中日、阪神、楽天で監督を歴任。17シーズンで歴代10位となる監督通算1181勝(1043敗53分け)を記録した。

 現役では通算146勝121敗34セーブ。今回の殿堂入りは監督としての実績が評価されたのは言うまでもない。中日で2度、阪神、楽天でそれぞれ1度。合計4度のリーグ優勝で日本一に輝いたのは2013年の楽天だけだ。つまりセ・リーグ時代は日本シリーズに勝てなかった。

 その訳は…。1月16日の野球殿堂博物館殿堂ホール。殿堂記者発表の席で星野さんのゲストスピーチに立った明大、中日の先輩、杉下茂さんが面白い話を聞かせてくれた。

 「星野は“打倒・巨人”に凝り固まってましてね。1974年にリーグ優勝してビールかけのときに“日本シリーズは邪魔っ気なんだ。ジャイアンツに勝っただけでいい”と話したんですよ」

 巨人のV10を阻止したシーズン。星野さんは先発、救援フル回転の活躍で15勝9敗10セーブの成績を残し、沢村賞を受賞した。ところが、ロッテとの日本シリーズでは3度のリリーフ登板でいずれも失点。チームは2勝4敗で敗れた。

 難攻不落の巨人を倒した達成感に浸り、日本シリーズでは戦闘モードに入れなかったのかもしれない。

 監督になってからもそうだ。セ・リーグで優勝するということは、それ自体が巨人を倒したということ。中日時代は88年西武、99年ダイエー(現ソフトバンク)に、いずれも1勝4敗であっさり敗れた。

 阪神で優勝した2003年の日本シリーズも忘れられない。再びダイエーとの対戦。敵地・福岡ドーム(現ヤフオクドーム)での第1、2戦を落としながら、甲子園に戻って流れを変えた。第3戦は2−1、第4戦は6−5で、いずれも延長10回サヨナラ勝ち。第5戦も接戦を制して3−2で王手をかけた。

 注目の第6戦。先発は順番通りでいけば伊良部秀輝だが、この元大リーガーは第2戦、3回9安打5失点でKOされている。伊良部を飛ばし、第3戦で7回4安打1失点と好投しているムーアを中3日で持っていくこともできる。第7戦までもつれてもエースの井川慶が中3日でいけた。

 だが、星野さんは予定通り伊良部をマウンドに送った。「シーズンで頑張ったピッチャーを使ってどこが悪いんや」。レギュラーシーズン13勝8敗でリーグ優勝に貢献した右腕への「情」を優先させたのだ。

 伊良部は2回3安打3失点で降板。阪神はこの試合を1−5で落とし、第7戦も2−6で敗れた。すべてホームチームが勝利。史上初の「内弁慶シリーズ」を完成させ、指先をかけていた日本一を逃すのである。

 再び杉下さん。

 「監督になっても巨人に勝ってリーグ優勝しただけでよかったのかな。闘将が日本シリーズはペナントレースと違って柔和だった。でも、楽天のときは違いましたね。相手が巨人だったから」

 楽天で優勝した2013年。シリーズの相手は原辰徳監督率いる巨人だった。3勝3敗で迎えた第7戦。3−0とリードした9回、闘将は前日の第6戦で160球を投じて敗戦投手になった田中将大(現ヤンキース)をマウンドに送った。執念の采配で宿敵を破り、初の日本一を勝ち取ったのである。

 投手として、監督として「打倒・巨人」に燃えた星野さん。殿堂入りした今、つくづく思う。巨人監督就任の噂が立ったこともあるが、YGマークのユニホームはきっと似合わなかった。 (特別編集委員=この項おわり)

 ◆永瀬 郷太郎(ながせ・ごうたろう)1955年、岡山市生まれ。早大卒。物心ついたときから野球好き。小学4年生の65年春、エース平松政次でセンバツ優勝した岡山東商のパレードを自転車で追いかけた。

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2017年1月25日のニュース