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【コラム】金子達仁

桐生9秒台が壊した「日本人だから」の壁

[ 2017年9月15日 06:00 ]

足の速い選手と言えば…。高速ドリブルが特徴のギャレス・ベイル(レアル・マドリード)
Photo By スポニチ

 少なくともわたしの意識の中では、事実として刷り込まれていた。

 「日本人は100メートルを9秒台で走ることはできない」

 誰がいかなる根拠で言い出したものなのかはわからない。けれども、物心がついたころから、わたしの中には「日本人の運動能力は低い。だから世界一など目指せるはずがない」との思い込みが巣くうようになっていた。

 サッカーは本来、走る速さを競う競技ではない。瞬発力やパワーを競う競技でもない。にもかかわらず、アジアで敗れるたび、世界で敗れるたびに、多くの人が口にした。「運動能力で劣るのだから仕方がない」と。

 GHQによる占領政策の一環だったのか、それとも日本人自身による幻想だったのか。何にせよ、日本人は世界に勝てない、かなわないとの思いは、確実にわたしの中にあった。そんなことはない、日本人だってW杯で優勝できるのだと叫んできたのは、そう思っていたからという面があったのと同時に、そう思いたかったから、という一面もあった。

 ガラスの天井は、ついに木っ端みじんになった。

 もちろん技術的な要素も大きいのだろう。それでも、恐ろしくシンプルで、恐ろしくごまかしのきかない100メートル走で9秒台に突入する日本人が現れたことで、これからの日本人の意識は変わる。劇的に変わる。

 ウルグアイにはいない。イタリアにもいない。ドイツにも、ブラジルにも、アルゼンチンにも、スペインにもいない。過去にW杯に優勝した8カ国の中で、100メートル9秒台のスプリンターを輩出したのは英国とフランスしかない。日本のサッカー界は、敗因を日本人であるがゆえのスピード不足に求める根拠を、ついに失った、いや、失うことができたのである。

 21世紀に差しかかるあたりから、米国のサッカーは急速に力をつけてきた。わたしが羨(うらや)ましかったのは、さして日本と実力が変わらなかった彼らが、何の疑いもなくいつかは世界一になる自分たちの姿をイメージしていることだった。

 これからは、日本でも自然に世界一をイメージする世代が生まれてくる。サッカーに限らず、さまざまなジャンルで。ごく近い将来、「日本人には無理」と言われたゴルフのメジャーで勝つ者が現れるだろう。きっと、テニスのグランドスラムでも。すでにインディ500で優勝する日本人は出現した。琴奨菊の優勝以降、次々と日本人力士の優勝が生まれたように、初めてのW杯出場以降、日本がすべての大会で本大会出場を果たしているように、新たな勝利が誘発されていくはずだ。

 いまの小学生たちは、女子サッカーが世界一になる場面を目撃している。加えて、今回の桐生祥秀の9秒台。日本人であることを勝てない理由にしない世代が、これからは台頭してくる。もし将来、日本サッカーが世界一になる日が来たとしたら、その立役者の一人は、桐生祥秀である。(金子達仁氏=スポーツライター)

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