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真央ちゃんキッパリ!五輪でも「金メダルがいいな」

[ 2009年12月28日 06:00 ]

「全日本4連覇」で五輪出場を決めた浅田真央

 真央が待ちに待った五輪切符を手に入れた――。フィギュアスケートの全日本選手権兼バンクーバー五輪代表最終選考会最終日は27日、大阪のなみはやドームで女子フリーが行われ、SP首位の浅田真央(19=中京大)がトップの135・50点をマークし、合計204・62点で4連覇を達成、バンクーバー五輪出場を決めた。06年トリノ五輪は年齢制限で出場できなかったが、4年を経て初めて立つ夢の舞台では、復活したトリプルアクセルで金メダルを狙う。

 大観衆のスタンディング・オベーションが誰が勝者かを示していた。両手を天に突き上げてフィニッシュすると、拍手と歓声のシャワーが一斉に降り注ぐ。重圧から解放された浅田は笑みを浮かべ小さく息を吐き出した。フリー1位の135・50点をマークして合計204・62点で全日本4連覇。文句なしで五輪切符を手に入れた。その瞳はかすかに潤んでいた。
 「ほっとしたのと、うれしかった。一つのミスもできないという思いがあった。初めて五輪に出ることができるので、すごくうれしい」
 バンクーバーへの道を切り開いたのは代名詞の大技だった。ラフマニノフの前奏曲「鐘」に乗って、冒頭のトリプルアクセルを決めた。今季9度試み1度しか決められなかったが、大一番で成功。次のトリプルアクセル―2回転トーループは、安全策からダブルアクセルに。「2回するよりも他の部分に集中しようと思った」。ジャンプが3度も回転不足になるミスはあったものの、表現力が問われる5項目の演技点でただ1人、すべて8点台を叩き出した。
 トリノ五輪を控えた4季前は、GPファイナルで荒川、スルツカヤを撃破するなど氷上の主役を演じながら年齢制限で五輪の舞台を逃した。特例での出場を求める世論も高まったが、当時の山田満知子コーチと浅田、家族の間でも「トリノに出たい」という願望は話題に上らなかった。そして浅田は言った。「これからの4年間は長いと思います」。言葉通り長く険しい五輪ロードだった。
 4年間で身長が5センチ伸びて体のバランスが変わり、得意だったトリプルアクセルもミスが増えた。精神面でも周囲の期待を背負いスケートを楽しめなくなった。昨季の世界選手権ではシニア参戦後初めて表彰台を逃し、今季はGPファイナル出場を逃すなど不振に陥った。タラソワ・コーチに課された今季のテーマは「乗り越える」。今大会に帯同できなかった同コーチから、開幕前に「信じているから頑張りなさい」という手紙を受け取った。栄光と挫折が交錯する中、五輪切符を獲得した今、浅田は「4年間は早かった」と笑った。
 そして、金メダルを胸に言った。「金メダルをもらう時はすごくうれしいし、良かったって思う。(五輪でも)金メダルがいいな」。抱き続けてきた黄金の夢をかなえる準備は整った。

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2009年12月28日のニュース