念願G1初制覇後に…高市師安らかに

[ 2020年2月21日 05:30 ]

昨年の中山大障害を制したシングンマイケルの口取り。一番右が高市師
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 【競馬人生劇場・平松さとし】先週は郷原洋行さんについて記させていただいたが、今週も残念ながら訃報が届いた。現役調教師の高市圭二師が亡くなられた。

 1955年8月生まれだからまだ64歳。私と知り合った頃は現役の騎手だった。互いに野球が好きで、草野球をしたり一緒にバッティングセンターに行ったりしたものだ。

 その後、90年に調教助手に転身すると、96年には調教師免許を取得。開業後すぐにマンダリンスターやビーマイナカヤマ、ミヤギロドリゴなどで重賞を制覇。2000年に東海S(G2)を勝ったファストフレンドでは同年に帝王賞や東京大賞典、エンプレス杯連覇を果たすなど交流重賞を勝ちまくった。しかし、そのファストフレンドをもってしてもJRAのG1では00年のフェブラリーSが3着でジャパンCダート(現チャンピオンズC)は5着。01年フェブラリーSは6着と勝つには至らなかった。

 その後も、なかなかG1に手が届かないまま月日が流れた17年の夏、病魔が高市師を襲った。がんが臓器の外側にできてしまう病気で治療は困難を極めた。抗がん剤の副作用で髪の毛は抜け、60キロあった体重は40キロ近くまで減ってしまった。しかし「何としても馬のいる場所に戻りたい」という一心で18年6月、約1年ぶりに現場に復帰。翌19年には自らが育てたシングンオペラの数少ない産駒であるシングンマイケルで中山大障害を優勝。ついに念願のJRAのG1を制覇。同馬はJRA賞の最優秀障害馬にも選出された。

 しかし、JRA賞授賞式に高市師の姿はなかった。会場の写真をLINEで送ると「ナイス!ありがとう」と返事が来た。これが最後のやりとりとなってしまった。残念でならない。どうか安らかにお眠りください。(フリーライター)

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2020年2月21日のニュース