マスター所有吉澤氏語る「馬術式」での名馬量産、夢だった米遠征「財産に」

[ 2019年7月3日 05:30 ]

所有する愛馬の話に表情が緩む吉澤ステーブル・吉澤克己社長(撮影・井垣 忠夫)
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 夏の新企画第2弾として、話題の人物に迫る「Ask You」がスタート。第1回は今春の米国遠征で注目を集め、米G1ベルモントダービー招待S(日本時間7日早朝、ベルモントパーク芝2000メートル)に参戦するマスターフェンサー(牡3=角田)のオーナー、吉澤克己氏(56)を直撃。タニノギムレット、ゴールドシップなど多くの名馬を育て上げた育成牧場・吉澤ステーブルの秘密として“馬術式”があった。

 ――94年に育成牧場・吉澤ステーブルを開業した。
 「藤本直弘牧場で牧場長として働き始めた頃から“いつかは自分で牧場を持ちたい”と伝えていました。5年たって起業しようとしたのですが、お金が全くなくて。子供のお年玉から何からお金をかき集めました(笑い)。それでも元手は100万円もなかったです」

 ――最初はわずか12馬房。北海道・浦河で他の牧場から間借りして経営をスタート。
 「当初は育成馬が6頭しか集まらなくて困りました。高校の同期だった伊藤圭三(調教師)のお兄さんがグランド牧場の社長で、6頭まとめて預けてくれて…。12頭の馬と3人のスタッフでスタートを切りました」

 ――すぐに育成馬が結果を出した。
 「99年にウメノファイバーがオークスを勝って、もうこんなことないだろうと思っていたら、今度はタニノギムレットがダービー(02年)を勝ってくれて。それからは馬がどんどん集まるようになりました」

 ――馬を見るポイントは?
 「最初は走りそうな馬が全然分からなかった。実はウメノファイバーもタニノギムレットも“気性が荒いし、こんな馬は走らないだろう”と思っていましたから(笑い)。でも、僕は365日ずっと馬と一緒にいますし、最近では経験を積んできたことで走る可能性が高い馬の体というものが少し分かってきたような気がします。マスターフェンサーも、最初は“特に目立つところはないな”と思っていたんです」

 ――そのマスターフェンサーの米国遠征が注目を集めている。
 「デビューから2戦は芝を使って勝ち切れなかったけど、ダートを使うと凄い時計(阪神ダート1800メートルで1分51秒1)で勝った。まだ1勝目なのにケンタッキーダービーが頭をよぎったんです。4番目の候補(出走権を懸けた日本国内でのポイント争いで4位)だったけど、上位3頭が回避して…。あの舞台に立つことは夢でしたから、“選ばれたなら行きます”と即決しました」

 ――ケンタッキーダービーは6着、ベルモントSは5着と健闘した。
 「長年アメリカ競馬を見てきたので、現地のダート馬にはかなわないだろうと思っていました。でも、いざ走ってみると、“おいおい、やれるじゃないか!”って(笑い)。距離が伸びるベルモントSはもっとやれる!と力が入りましたし、緊張もしました」

 ――今度はベルモントダービー招待Sに挑戦する。
 「ダートから芝の転戦なんて無謀だと思う人も多いかもしれませんが、ここ2戦で見せた末脚は凄かった。米国の芝に適性があれば、通用する可能性は十分にあるかもしれないと思っています」

 ――鞍上は浜中。
 「マスターフェンサーは普通の馬とは少し乗った感覚が違うので、癖を知っている(国内で騎乗し2戦2勝)という点が一番の理由です。それに、今回の遠征ではラニ(16年の米国3冠レースに挑戦)陣営の松永幹夫調教師やノースヒルズさんなど多くの人に情報をいただきました。今回、もしもいい結果が出れば、日本馬の米国遠征がどんどん増えていくかもしれない。そうなれば浜中君の経験が今後、日本競馬界の財産になると思います」

 ――育成馬がこれだけ活躍している理由は。
 「今までの育成のやり方とは少し違う方法を取り入れました。私が馬術出身なので、“乗りやすい馬”をつくる乗馬的な要素を取り入れたり、陸上選手のようなトレーニング方法、たとえばインターバル走や心拍数の研究なども行ってきました。集団調教では活躍馬につられて他の馬たちも追いつこうと相乗効果で成長していきます。それも大きかったと思います」

 ――馬術の技術をどのように取り入れた?
 「馬術は馬を横にも後ろにも歩かせますが、競馬は基本的には真っすぐ速く走らせるだけでいい。でも、後ろに下がるという動きができる馬なら、レースで控える時にスッと下がることができます。折り合いを欠くことも少なくなる。僕たち育成牧場の一番の仕事は“乗りやすい馬”をつくることだと思っていますから。うるさい馬でも馬具を工夫しながら従順になるようにしていきます。でも、ゴールドシップは何をしても言うことを聞きませんでした。あの馬にだけは、生まれて初めて“参った”と思いました(笑い)」

 ――04年からは馬主としても活動。
 「僕のような理由で馬主になった人はいないと思います(笑い)。僕はとにかく馬主バッジが欲しかった。あのバッジさえあれば競馬場の中ならどこにでも行けて、パドックなどで調教師や他の馬主と打ち合わせができます。本業の競走馬育成の仕事が円滑になります。そのために無いお金をはたいて頑張って馬主になりました」

 ――最後に改めてベルモントダービー招待Sへの意気込みを。
 「優勝したいです。勝つようなことがあれば米国に移籍させて滞在させる可能性も視野に入れています。勝てばBCターフ(11月2日)に挑戦したい気持ちはあります。ケンタッキーダービーは夢の舞台でしたから、1度行くとまた行きたい思いが強くなりました。また海外に挑戦できる強い馬を持てるようにも頑張っていきたいです」

 ≪福島で被災、ゴールドシップに思い入れ≫福島・天栄でも牧場を開業した吉澤氏だが、11年の東日本大震災で被災。「スタッフにも家族がいるし、逃げるしかないな…と。車中泊しながら、新しい牧場をつくる場所を必死に探し回りました」(同氏)と回顧した。翌12年に滋賀、13年に茨城でも開業。「懇意にしてくださっている馬主・調教師がすぐに馬を預けてくれました。ゴールドシップ、ジャスタウェイ、エポカドーロなどG1馬も出て、順調に育成馬が活躍してくれています。特にゴールドシップは福島の牧場で被災した馬なので思い入れも強かったです」と話した。

 ◆吉澤 克己(よしざわ・かつみ)1962年(昭37)11月17日生まれ、札幌市出身の56歳。専大卒。高校・大学ともに馬術部に所属。藤本直弘牧場で約5年間、牧場長を務めた後、94年に吉澤ステーブルを開業。17年には湖南馬事研修センターを設立し、競走馬に携わる人材育成にも力を入れている。現役の所有馬はエポック、アードラーなど。趣味はサーフィン、釣り。

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