【日本ダービー】ラグーン・大久保洋師 最後で最初のVへ

[ 2014年5月30日 05:30 ]

馬場から出るショウナンラグーンと大久保洋師

 ショウナンラグーンを送り込む大久保洋吉師(69)は引退前のラストダービーでの初タイトル奪取に懸ける思いを激白。

 ――いよいよダービー。ショウナンラグーンは青葉賞で最終切符を奪取。

 「出ることができ、非常にうれしかった。思い入れのある血統だし、この仕事に携わっている人間は、誰もがダービーを最大目標にする。(来年2月定年引退で)最後に出られるのはとても幸せなこと」

 ――青葉賞は3F33秒8の剛脚で差し切り。

 「ペースは遅く、全体時計は遅かったが、速い脚を使えたのは収穫。完全に先行馬ペース。坂を上る時は5着までは…と思っていたら、1F地点で左手前に替えた後にまた伸び“よし!!”と思わず声が出て。2着はあるかな?と思ったら1着。よく差し切った」

 ――レースを使うごとに強くなっている印象。

 「新馬の頃は弱い面もあったが、初めは並脚でしっかり歩けなかった。放牧先でもいろいろやってくれて、うちの厩舎なりにも鍛え、トモ(後肢)がしっかりしてきた。しまいの良さが武器。前走みたいなレースが合うんでしょう。詰めて使っているわけではないので消耗はない」

 ――祖母メジロドーベルも、母メジロシャレードも管理。思い入れは相当?

 「もちろんです。ドーベルはG1・5勝もしてくれた。ドーベルの子は結果が出ず、母のシャレードが勝ってくれた時(08年8月)は心から喜んだ。ただ、新潟2歳Sに行こうとした矢先、事故(雷に驚き、厩舎内で腰を負傷)が原因で引退することになって」

 ――12年セレクトセールに上場されて落札。

 「どうしても欲しいということで、オーナー(国本哲秀氏)にお願いした。格好は父のシンボリクリスエスが出ている。藤沢(和雄師)くんにも言われた。ただ同じクリスエス産駒でも、サンカルロには似てない。距離適性が違うのはそれもあるかな」

 ――母系を引き継いだところは?

 「いい意味での癇性(かんしょう)が強いのはドーベルに似ている。なにせうるさい。鞍も置かせないので、レース前は3~4人がかりで厩舎での装鞍。母シャレードは扱いやすかったんだけどね(苦笑)」

 ――ダービーは6頭目の挑戦。惜敗もあった。

 「ハイアーゲーム(04年3着)は青葉賞(2分24秒1)を優秀な時計で勝ったし、正直勝てると思っていた。ただ優勝したキングカメハメハはダービーレコード(2分23秒3)。翌年のディープインパクトと同じだからね。私が携わったダービーではディープは別格。キンカメやナリタブライアン(94年)はそれに次ぐ強さ。悔しかったが、今思うと運もなかった」

 ――同じ青葉賞1着からの挑戦。

 「確かに青葉賞から本番は勝ってないが、2着は結構来ている。ラグーン自身、距離が延びて良さが出てきたし、本番と同じ舞台を経験したことは必ずプラスになるはず。今年は特別抜けた馬はいないし、チャンスはあるはず」

 ――愛弟子の吉田豊と挑む最後のダービー。

 「豊もドーベルに競馬を教わったという思いは強いと思うし、どうにかしてくれるはず。もちろん、この世界は結果は出さないといけない。(メジロファントムでの79年)天皇賞・秋と有馬記念の2着(共に鼻差負け)は今だって、悔しいんだ」

 ――最後にファンへ。

 「決してダービーで終わりではないが、順調にここまでこられた。競馬には長い歴史があって…。祖父の代からこの仕事につき、ラグーンは父(末吉師)が管理したメジロボサツ(5代母)の血が流れている。朝日杯は勝ったが、桜花賞3着、オークス2着。父も悔しい思いをしたはず。そういう面も含め、楽しんでいただければ…と思う」

 ◆大久保 洋吉(おおくぼ・ようきち)1944年(昭19)10月15日生まれの69歳。東京都出身。早大理工学部卒。前田建設工業の勤務などを経て、72年に父・末吉師のもとで助手となり、76年3月に調教師免許取得。同年12月に開業。主な管理馬はメジロドーベル、ショウナンカンプ、サンカルロ。JRA通算成績は8747戦863勝(30日現在)。重賞は42勝(G1・8勝)。趣味は鉄道模型の製作、ゴルフ。

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