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長谷川穂積 王者のまま引退「ご飯と一緒。腹八分目ぐらいで」

[ 2016年12月10日 05:30 ]

引退会見を終え、獲得した3階級のチャンピオンベルトを前に笑顔の長谷川
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 日本勢4人目となる世界3階級制覇をしたWBC世界スーパーバンタム級王者の長谷川穂積(35=真正)が9日、神戸市内で会見を開き、引退を発表した。プロ通算41戦36勝(16KO)5敗。日本人最年長記録の35歳9カ月で王座に返り咲いた今年9月のウーゴ・ルイス戦が最後の試合になった。WBC世界バンタム級時代(2005~10年)には日本人3位の連続10度の防衛を記録した名サウスポーは、チャンピオンのままグラブを置いた。

 長谷川の表情は晴れ晴れとしていた。WBC世界バンタム級、同フェザー級、同スーパーバンタム級の3つの世界ベルトを横に並べ、“王者”はやり切ったという思いを言葉に込めた。

 「これ以上証明することがなくなった。心と体を一致させて世界チャンピオンになる目標で戦ってきて、それを前回達成した。前回以上の気持ちをつくるのが難しくなったのが大きな理由」

 11年4月にフェザー級王者から陥落して以降は常に引退の2文字が付きまとった。元プロボクサーの父・大二郎さんをはじめ、周囲からは引退を勧められてきたが、9月のルイス戦で5年5カ月ぶりに世界王座に返り咲いた。日本人最年長の35歳9カ月でのベルト奪取と日本選手4人目の世界3階級制覇。試合の1カ月半前に左手親指を脱臼骨折しながらも打ち合いを制したが、これが区切りになった。「(ファンが)もう少し見たいぐらいがちょうどいい。ご飯と一緒。腹八分目ぐらいで」。自分に納得し、11月中旬に決断した。

 辰吉丈一郎を2度倒したウィラポン(タイ)のWBC世界バンタム級の連続防衛を14で止めてからサクセスストーリーが始まった。05年4月のその世界初挑戦を最も印象深い試合に挙げた。「夢がかなった試合。凄くうれしかった」。同王座から陥落した後の10年10月24日には母・裕美子さんが闘病の末に死去。悲しみをこらえながら、1カ月後にWBC世界フェザー級王座を奪取した。

 ファンから絶大な人気を誇った理由は、同級で10連続防衛を果たした成績もさることながら、その歩みにもある。世界ベルトを巻くまで17勝のうちKOはわずか5。それが世界戦で5連続KO勝ちを成し遂げるなど、世界戦13勝で8KOを収めた。豊富な練習量でKOの土台をつくり、前日計量後に「バカ食い」と表した食事量でリミットよりも相手よりも大きくなった体がパンチの重さになった。技巧派から「倒し屋」に変貌を遂げてファンの熱狂を呼んだけうな存在。その功績は永遠に色あせない。 (倉世古 洋平)

 ▼真正ジム・山下正人会長 涙、涙じゃなくて良かったかな。現役チャンピオンのままやめるのだからこんなに素晴らしいことはない。元々の運動神経もあるけど、一番は努力。世界戦の翌朝にも走っていた。

 ▼日本プロボクシング協会・渡辺均会長 引き際を見誤る選手もいる中、いいイメージで辞められるのではないか。あれだけの死闘で、イチかバチかの勝負でTKOするなんて10度の防衛はダテじゃない。(王座認定団体がWBAとWBCだけの)当時は世界王者が少ない時代で、10度の防衛は今と価値が違う。

 ▼阪神・金本監督 本音を言えば、もう一試合見たい気持ちはあったが、今後のことを考えれば、強いチャンピオンのまま終われるのは、いいことだと思う。現役生活、本当にお疲れさまでした。

 ▼ロッテ・伊東監督 西武時代にキャンプに来てもらってから親交があったので、正直寂しい。ぜひ長谷川穂積を抜く強いチャンピオンを育ててほしいね。本当にご苦労さまでした。

 ◆長谷川 穂積(はせがわ・ほづみ)1980年(昭55)12月16日、兵庫県西脇市生まれの35歳。99年11月、プロデビュー。03年5月、東洋太平洋バンタム級王座獲得(防衛3)。05年4月、世界初挑戦でWBC世界同級王者ウィラポン(タイ)に判定勝ちして王座獲得(防衛10)。10年11月にWBC世界フェザー級王座、16年9月にWBC世界スーパーバンタム級王座を獲得し、日本人史上4人目の3階級制覇を達成。身長1メートル68の左ボクサーファイター。

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