【藤川球児物語(10)】苦しい敗戦処理の日々を過ごした2年目…私生活では結婚と“出会い”

[ 2020年11月22日 10:00 ]

安芸キャンプでルーキー藤田太陽(左)とともに笑顔を見せる藤川球児(2001年撮影)
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 背番号30で藤川球児のプロとしての日々が始まった。入団時のサイズは1メートル83、73キロ。まだ線が細かった。1年目を体力強化に費やし、迎えた2年目。キャンプ、オープン戦とリリーフで結果を出し、監督・野村克也の目に留まった。

 「将来は阪神の中心になるピッチャーや」と期待をかけ、2年目で開幕1軍入りを果たした。プロ初登板の機会は開幕戦の横浜戦(横浜)で巡ってきた。00年3月31日。胸の高鳴りを忘れてはいない。先発・星野伸之のあとを受け、3回から2番手で登板。谷繁元信から空振りでプロ初奪三振を記録するなど、2回1安打無失点。「とにかく0点で良かった。次は内容も良くしたい」とコメントを残した。

 今年11月1日、最後の横浜遠征でファンに手を振った藤川も「初登板の球場ですからね。開幕戦で谷繁さんに対戦させていただいて三振を取って、次の日はローズ選手にホームランを打たれてね。プロの打者は凄い。足がフワフワしたのを覚えています」と当時を懐かしんだ。

 だが、風は追い風にはならない。2年目の高卒ドラフト1位をどう育てていくか。方針も定まらないまま右腕はマウンドに駆り出された。チームが弱かった。この年も57勝78敗1分け。故障者などで駒不足の中、敗戦処理の日々が続いた。

 登録と抹消を繰り返しながら、00年は1軍で19試合に登板した。その19試合、すべてが負け試合だった。準備も十分にできないまま、登板を告げられ、踏ん張って抑えても、味方には反撃力はなかった。声援も少ない。苦しいシーズンだった。

 私生活では転機があった。この年のオフ、01年1月12日に藤川は自主トレ中の沖縄で結婚式をあげた。交際中、夫人に教えられた曲があった。それがリンドバーグの名曲『every little thing every precious thing』。代名詞となる登場曲との出会いだった。 =敬称略=

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