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グループAのGT-FOURでもなくグループBのツインカムターボでもない……WRCに挑んだダルマセリカ!『モーターファンフェスタ2024』を振り返る

[ 2024年5月16日 18:00 ]

グループ4ってナニ?1970年代のWRCの車両カテゴリーについて

モータースポーツには参戦する車両を定めるレギュレーションがあり、特に「世界選手権」の冠を掲げる競技では、統括するモータースポーツ団体である「FIA(世界自動車連盟)」とその下部組織「FISA(国際自動車スポーツ連盟)」が定めており、車両と競技のカテゴリー分けについても同様だ。

グループ 年代 車両 生産義務台数(台)
1 1966-1981 シリーズツーリングカー 5000
2 1966-1969 ツーリングカー 1000
2 1970-1981 特殊ツーリングカー 1000
3 1966-1969 グランドツーリングカー 500
3 1970-1981 シリーズグランドツーリングカー 1000
4 1966-1969 スポーツカー 50/25
4 1970-1975 スペシャルグランドツーリングカー 500
4 1976-1981 グランドツーリングカー 400
5 1966-1969 特殊ツーリングカー
5 1970-1971 スポーツカー 50
5 1972-1981 グループ1〜4から派生した特殊車両
(シルエットフォーミュラ)
6 1966-1969 プロトタイプスポーツカー
6 1976-1981 2座レーシングカー
7 1966-1975 2座レーシングカー
7 1976-1981 国際フォーミュラ
8 1966-1971 フォーミュラ
8 1972-1975 国際フォーミュラ
8 1976-1981 フォーミュラリブレ
9 1966-1975 フォーミュラリブレ
1966年〜1981年の国際モータースポーツ車両カテゴリー

1981年までの車両規則は「グループ+数字」でカテゴリー分けされており、数字が小さいほど市販車に近く、大きいほど特殊な車両になっていた。たびたび変更はされてきたが、概ねグループ5以下が市販車およびその改造車、グループ6以上がスポーツプロトタイプやフォーミュラカーといった純レーシングカーとされてきた。

フィアットグループの意向でWRCでの居場所を失ったグループ4マシンのランチア・ストラスはグループ5のサーキットレースに転用された。(PHOTO:FCA HERITAGE)
市販車のシルエットにド派手なエアロを装備して人気を集めた「スーパーシルエット」もグループ5。世界はもちろん、日本でも人気カテゴリーに。(PHOTO:NISMO)
ルマン24時間耐久レースやメイクス選手権はグループ5とグループ6の2座オープンで争われ、最終的にどちらのクラスも935と936でポルシェが席巻し、カテゴリー終焉の遠因に。(PHOTO:PORSCHE)

上の表の「生産義務台数」は競技車両としてのホモロゲーションを獲得するのに必要な連続する12ヶ月間での生産台数を表しており、このほかに排気量や改造範囲の制限、クラス分けが行われる。
ラリーにおいては基本的には生産台数義務が生じるグループ1/2/4の車両が使用され、トップカテゴリーはグループ4で争われた。

WRC制覇のために生まれたランチア・ストラトスはまさにグループ4の申し子だったが、フィアットの意向により主役の座をフィアット131アバルトに譲る。(PHOTO:FCA HERITAGE)
フォードはエスコートRS(マーク1、マーク2)でランチア、フィアットのイタリア勢に対抗。(PHOTO:FORD)
4WD+ターボのフォーマットをWRCに持ち込んだアウディ・クワトロも1981年のデビュー時のホモロゲーションはグループ4。(PHOTO:AUDI)

なお、1982年からこの規則は根本的に変更され、カテゴリーは「グループ+アルファベット」に置き換えられ、ラリーではいわゆるグループBのモンスターマシン、その廃止後はグループAと、より市販車に近いグループNが使用されていくことになる。

1982年から1986年のWRCでファンを熱狂させたグループB。

また、WRCは元々各地で開催されいた有名なラリーをシリーズ戦に統合したもので、1970年の国際選手権化を経て1973年に世界選手権として正式にスタートした。今回紹介するセリカはそのWRC黎明期のトップカテゴリーであるグループ4にあたる車両なのだ。

TE27カローラ・レビンからのバトンを受けたRA20″ダルマ”セリカ

『モーターファンフェスタ2024』のトヨタブースに展示されたRA20型セリカ(グループ4)とヤリスWRC。

トヨタのWRCへの挑戦は、WRC正式発足前の1970年のコロナ・マークIIGSSによるモンテカルロラリーが嚆矢。WRC発足(1973年)後の1974年に、トヨタはデビュー時にドライバーとして起用したオベ・アンダーソンが率いるTTE(TOYOTA ・TEAM・EUROPA)にWRC活動を委ねTE27型カローラ(レビン)を投入。1975年に悲願の初優勝を遂げる。1976年からは2.0Lの18R-Gエンジンを搭載したRA20型、”ダルマ”と言われた初代セリカにマシンをスイッチした。

トヨタWRC小史についてはこちらの記事も参照。

MFFのトヨタブースに展示されたRA20型セリカ2000GTはTTEにより全4台が製作されたグループ4マシンの1台で、現存するのはこの1台のみと言われる貴重な個体。
エンジンは当時のトヨタの2.0L級スポーツユニットである1968cc水冷直列4気筒DOHC8バルブの18R-Gに、レギュレーションで許された競技用の16バルブヘッドを組み合わせている。

展示車両は1977年のRACラリー(イギリス)で2位表彰台を獲得したハンヌ・ミッコラ/アーネ・ハーツ組仕様。

展示されたマシンはハンヌ・ミッコラのドライブで、デビュー年の1976年1000湖ラリー(フィンランド)で3位、1977年のRACラリー(イギリス)で2位を獲得した4台中で最も成績が良かった個体だという。

グループ4マシンだが、ルックスはほとんど市販車と変わらない。

ランチア・ストラトスとも渡り合うが勝利には届かず……1976年

グループ4は400台(1975年までは500台)の生産義務を果たせばスペシャルマシンを開発することも可能であったが、実際にそうしたマシンを投入したのはランチアのストラトスだけであり、その他のメーカーはトヨタも含め量販市販車をベースにしていた。

インストゥルメントパネルはメーターも含めてほとんどノーマル。展示車両はスピードメーターが右、タコメーターが左になっており、レッドゾーンがほぼ直上に来るように傾けられていた。

1976年のWRCにはランチア・ストラトスHFを筆頭に、フィアット131アバルト、フォード・エスコートRS1800、サーブ96 V4、プジョー504、ダットサン160J(日産バイオレット)、三菱ランサーGSRがウィニングマシンとして名を連ねているが、ストラトスを除けば量販市販車のハイパフォーマンスグレードをラリー用に改造したものだ。

紅白のボディカラーはトヨタのコーポレートカラーに準じたもの。スポンサーの有無の差はあれど、1993年以降のカストロールカラーになるまでトヨタワークスのカラーとして継承される。

1976年シーズンのWRCは熟成成ったランチアが全10戦のうち4勝(112ポイント)を挙げ選手権を圧倒。2位のオペル(未勝利/57ポイント)にほぼダブルスコアのポイントでタイトルを獲得している。ランチア以外ではサーブ、三菱、日産、プジョー、フィアット、フォードが各1勝ずつとそれぞれの得意のラリーで優勝を分けあった形だ。
最終的にトヨタはポルトガルで2位、1000湖(フィンランド)で3位、RAC(イギリス)で5位のリザルトで、ランキングは6位で1976年シーズンを終えた。

グループ企業のデンソー(スパークプラグ)に加えカストロール(オイル)と、後々までトヨタのモータースポーツを支えるブランドがテクニカルスポンサーとして名を連ねる。
ホイールは7J×15インチのMINILITE。1963年に生まれたブランドで、ローバーミニによるモンテカルロラリー制覇(1967年)に貢献するなど、1960〜1970年代のモータースポーツシーンで活躍。

フィアットとフォードの狭間でポイントを稼ぐ……1977年

1977年はフィアットがストラトスの売上低迷と量販車種のプロモーションのため、主戦マシンをストラトスからフィアット131アバルトに完全にスイッチ。フォード・エスコートRS1800と接戦を繰り広げ(フィアット5勝/136ポイント、フォード4勝/132ポイント)、ランチアから続きフィアットがタイトル獲得(ランチアもフィアットもワークスチームは同じアバルトが担った)に成功する。
※1977年からポイントシステム変更

全11戦で争われた1977年シーズンのWRCで、フィアットとフォード以外に勝利を挙げたのはランチア・ストラトス(モンテカルロ)とサーブ99EMS(スウェーデン)の1勝ずつに留まり、シーズンを通じて表彰台のほとんどをフィアットとフォードが埋め尽くした。

バケットシートは現代のものに置き換えられていた。
ロールケージも後のラリーカーに比べて極めてシンプル。

セリカの成績はスウェーデンで5位、ポルトガルで3位、ニュージーランドで6位、1000湖(フィンランド)で4位、サンレモ(イタリア)で6位、RAC(イギリス)で2位というもの。最終的に未勝利メーカーでは最多の68ポイントを挙げ、ランキングは3位に食い込んでいる。

MFFの目玉「スーパーグリッドウォーク」に向けて準備中のRA20型セリカ2000GT(グループ4)。コースこそ走らなかったものの、自走でグリッドに並んだ。

1978年からトヨタはワークスマシンをRA40型の二代目セリカにスイッチするため、MFFに展示されたこの個体はRA20型セリカ2000GT(グループ4)の最後の花道を飾ったマシンと言えるだろう。

RA20型セリカ2000GTグループ4フォトギャラリー in MFF

TTEが作り上げたワークスマシンがわずか4台で、実戦に投入されたのが1976年と1977年の2シーズンのみ。しかも現存するのがこの1台と考えると、極めて貴重なマシンであると実感できる。それが動態保存され、日本で見ることができるのだからありがたいかぎりだ。MFFのみならず、これからもイベントなどで実車を目にする機会に恵まれれば幸いである。


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