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亀田大毅氏 激動の半生…初めて感じた怖さ、敗戦に悔しさ感じず引退決意

[ 2016年6月3日 10:50 ]

2015年11月、米国から帰国した亀田大毅さん

 15年11月の網膜剥離による電撃引退から約7カ月。ボクシング亀田3兄弟の次男・大毅氏が激動の半生を振り返る最終章は「引退」。13年12月の王座陥落から再起を目指していた14年の冬、メキシコでの強化合宿中の出来事だった。朝起きると突然、左目の視界が消えて練習を切り上げて帰国した。悪夢から引退までを自らの言葉で語った。

 合宿先のメキシコから緊急帰国して成田空港から病院に直行すると、「網膜剥離」であることが分かり、その日のうちに入院した。「この病気を治療し、再びリングに上がりたい」という強い意志を持っていたが、目の手術後の苦労は想像をはるかに超えていた。

 手術をした後は、一週間はうつ伏せで生活をしなければならず、腰がとても痛くなった。トイレも食事も一日中、下を向いたまま。最後は首まで痛くなった。複数の病院で手術を計4回繰り返した。4回目の手術の後、何とか視力は0・1まで回復したが、医師からは「半年間はボクシングの練習はもちろん、激しい運動も禁止」と言われ、ただ、ゆっくり歩くだけのリハビリを続けた。

 半年間のリハビリ後に練習を再開したが、以前と同じ感覚は戻ってこなかった。自分の中にモヤモヤしたものが残った状態で練習していた。網膜剥離になる以前は、海外遠征で強豪とのスパーリングを通じて、「自分が強くなっている」という確かな手応えをつかんでいた。文句ない形で勝って世界チャンピオンになる。誰もが認める形でベルトを巻きたい。強い気持ちを持っていたが、約半年間まったく練習ができなかったブランクは大きく、以前と同じような動きができなかった。当然、左目の見え方も昔とは違っていた。

 米国で試合が決まったのは、リハビリを終えて、練習を開始してから半年後だった。15年9月6日、満足の行く練習ができないまま、米テキサス州で1年9カ月ぶりの試合を迎えた。試合間隔が空いたことでの多少の緊張感はあったが、試合前はいつもと変わらなかった。無名のメキシカンとの8回戦、普通にKO勝利するつもりでいた。しかし、いざ試合が始まると、以前とは違う自分が試合をしていた。

 2回にダウンを奪って、ラウンドを重ねていっても体は動かないし、気持ちも乗ってこなかった。5回終了後のインターバルで、親父と兄から「何しとんねん!」と言われた時、「しんどい」と漏らしたことだけは覚えている。左目を手術した影響で「左目に続いて右目まで負傷したらどうしようか」という思いが自分の体を動かなくしていたのかもしれない。この時、ボクシングの試合で初めて「怖い」という感覚を覚えた。14年10月には6年間交際していた人と入籍した。結婚して自分一人の体ではないという思いもあった。

 試合は1―2の判定で敗れた。セコンドの声も全部聞こえていたけれど、その声に体が反応できなかった。自分が負けたと分かった時、込み上げてくる悔しさもなかった。自分の中で、何かが終わった。控え室に戻る途中、そんな自分を察した兄が「もう無理やな、限界やな」と言ってきた。06年2月26日のプロデビューから9年半が経っていた。俺は兄の言葉にうなずいてグローブを吊す覚悟を決めた。俺のプロボクシング人生の中で、色々な事があった。多くの方々に迷惑をかけたこともあった。そんな中でも変わらず応援していただいた方には感謝の言葉しかない。本当にありがとうございました。

 ボクシングを引退した後の15年11月にはニューヨークで結婚式も挙げた。自分にも守るべきものができ、今後は、新たな世界で頑張って行きたいと思う。皆様これからも亀田大毅をよろしくお願いします。

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2016年6月3日のニュース