×

亀田大毅氏 激動の半生…ボクサーとして致命的な「網膜剥離」に

[ 2016年5月12日 10:20 ]

亀田大毅氏

 網膜剥離による引退から約半年。ボクシング亀田3兄弟の次男・大毅氏が激動の半生を振り返る。第2章の「~プロデビュー」に続く第3章は、グローブを吊す引き金になった「運命」の時を語る。

 ボクサーも辞め方にはいろいろあるけれど、俺の場合はケガが原因だった。ボクサーの職業病ともいえる網膜剥離を発症したことで視力が低下し、ボクシングを続けることができなくなった。

 13年12月のIBF・WBA世界スーパーフライ級王座統一戦で敗れてから、高いモチベーションで再起を目指した。年が明けてから環境のいい米フロリダ州マイアミに渡り、朝練習も早起きして積極的にトレーニングをして充実したキャンプを送っていた。これまでのキャリアで、その時がピークではないかと思うぐらい自分でも成長を実感していた。WBA世界バンタム級スーパー王者パヤノとの世界戦も契約間近だったが、弟・和毅の試合が流れたため一旦帰国して、今度はメキシコに飛んだ。

 そこには13年9月にIBF世界スーパーフライ級王座決定戦で勝ったメキシコ出身のゲレロがいた。それでスパーリングをやろうという話になったが、これが生涯最高で最後のスパーリングになった。この時はよく足が動いて、相手の攻撃もよく見えてパンチを全くもらわなかった。しかし、それから5日後の朝、目覚めた時には左目の視界の右下部分が見えなくなっていた。本当になぜだか分からなかった。

 標高2400メートルのメキシコシティーで酸素が薄いから、それも理由なのかと最初は考えた。けれど翌日、今度は左目の視界の右側が全部見えなくなっていた。しかも、見え方がぼやけていたから疲れているのかとか思ったけれど、右側半分が真っ黒だったから、怖くなった。その日は日曜日で病院が休みだったから翌日まで待つことになった。そしたら月曜日は左目の視界がなくなった。メキシコの病院に行ったけれど、何を言っているのか言葉が理解できなかった。ただ、深刻だということと、手術をしなければならないこと、そして、「ボクシングはもうできない」と言われたのは何となく分かった。

 一緒にメキシコに来ていてジムで練習中だった和毅に電話で通訳をしてもらったら、「大ちゃんこれやばいぞ。日本に帰った方がいい」と言われた。頭の中が真っ白になりパニックになった。英語でドクターに手紙を書いてもらい、その日のうちに帰国した。そして成田空港から都内の病院に直行して医者に手紙を見せたら「網膜剥離です」とボクサーとしては致命的な目の病であることを告げられた。

続きを表示

2016年5月12日のニュース