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苦節プロ10年…木村 “天才少年”がついに世界戴冠「久しぶりに泣いた」

[ 2015年11月29日 05:30 ]

10回、木村(右)の右ストレートがゲバラの顔面にヒット

プロボクシングWBC世界ライトフライ級タイトルマッチ12回戦 同級3位・木村悠 2―1判定王者ペドロ・ゲバラ

(11月28日 ゼビオアリーナ仙台)
 商社マンボクサーが世界を制した。世界初挑戦の木村悠が2―1の判定で競り勝ち、世界王座を獲得した。14年12月に元2階級制覇王者・八重樫東をボディー一発で仕留めたゲバラの強打に耐え抜き、中盤からボディー攻めで失速させると圧力を強めて逆転。粘り強い攻撃で主導権を握り、悲願のベルトを手にした。江藤光喜は王者クアドラスのスピードにほんろうされて空転。0―3の判定負けで夢破れた。

 勝利を告げられると、新王者は頬を濡らして歓喜に浸った。2―1に割れた判定を制し、プロ10年目で悲願のベルトを獲得。夕方まで電気系専門商社で働き、夜にジムへ通う商社マンボクサーは「久しぶりに泣きました。今までのことを思い出したりして。ここまでこられたのが夢みたいな感じ」と声を上ずらせた。

 5回、右ストレートでぐらついた。ピンチにも「打ち合っていたら終わっていた」と落ち着いて、足を使って危機回避。逆に仕留め逃したゲバラが体力を消耗した。4回の公開採点でもジャッジ3人が王者が支持。「開き直って悔いなく正面から行った」。6回にボディーを効かせ、ガードが下がった相手に左フック、右ストレート。「前に出た方が(相手の)効果的なパンチが出なくなった」と試合の中でも冷静に分析し、逆転勝利を呼び込んだ。

 中2の時、TBS系のテレビ番組「輝く日本の星!」で同年代の中学生が「次代の具志堅用高をつくる」というテーマに向かっていた。木村は「自分が全く知らない世界で、本気で夢に向かって打ち込んでいる」と心を揺さぶられ、貯金をはたいて通信販売でサンドバッグとグローブを購入。自宅の庭で拳を鍛え、元日本王者・赤城武幸氏が開いた千葉のジムで技を磨いた。中3時には「天才少年」と呼ばれ、後に2階級制覇する粟生隆寛とスパーリング。「ボコボコにされた」という苦い思い出も、粟生は「やりづらい相手だった」と認めていた。そして、夢を追いかけた少年がつかんだのは、具志堅氏と同じ階級のベルトだった。

 08年にはプロ初黒星を喫し「自分に足りないのは精神面」と奮起。面接を経て「植松エンジニアリング」に途中入社すると、二足のわらじを履く環境の中、最後はひた向きな努力が実を結んだ。WBA世界同級王者・田口良一には一度敗れており「この階級で最強の王者になりたい」ときっぱり。統一戦のプランも描きながら、着実に階段を上ってきた新王者は「まずは地道に防衛を重ねたい」と場内に笑いを誘うとベルトを抱き寄せた。(

 ▼山中慎介 多少被弾するのを覚悟で積極的にいった結果。気持ちも入っていたけど、木村が持っている技術で的確に当てていった。刺激しあってさらに強くなるよう頑張ります。(WBC世界バンタム級王者、帝拳ジムの先輩)

 ◆木村 悠(きむら・ゆう)1983年(昭58)11月23日、千葉県千葉市生まれの32歳。テレビの影響を受け、中2で千葉・赤城ジムでボクシングを始めて、名門・習志野高に進学する。02年の法大1年時に全日本選手権ライトフライ級で優勝。06年に帝拳ジム入門。14年2月に日本同級王座決定戦で堀川謙一を下して王座獲得。3度の防衛に成功。家族は夫人。1メートル62、右ボクサー。

 ▽輝く日本の星! TBS系列で96年5月から約10カ月間放送されたオーディションバラエティー番組。審査や課題を通じて芸能・スポーツなど期待の星を見いだすことがテーマ。課題には「平成のイチローをつくる」「平成の手塚治虫をつくる」「平成の原節子をつくる」などがあり、「次代の具志堅用高をつくる」には元世界2階級制覇・粟生隆寛も参加していた。

 ≪異色経歴のチャンプ≫

 ▽とんかつ店 WBA世界ライトフライ級王者だった具志堅用高は5回目の防衛戦までとんかつ店で働いていた。WBA世界ミニマム級王者だった星野敬太郎はとんかつ店で料理長だった。

 ▽冠婚葬祭会社 WBA世界スーパーフライ級王者だったセレス小林は冠婚葬祭会社に勤務。リングネームに結婚式場の名前「セレス」を使った。

 ▽旅行会社 WBA世界スーパーフェザー級王者の内山高志は旅行会社の営業マンだったが、25歳でプロ転向した。

 ▽ラーメン店 WBA世界スーパーフライ級王者だった清水智信は「九州じゃんがら」ラーメンで働いていた。

 ▽ガソリンスタンド WBC世界スーパーフライ級王者だった佐藤洋太は引退までガソリンスタンドで働いていた。

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