【平野謙 我が道4】1回戦コールド負け 練習不足を悔やんだ高3の夏

[ 2025年10月4日 07:00 ]

2年夏の愛知大会豊橋商戦、二ゴロで三塁から本塁突入も憤死
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 1971年(昭46)4月、愛知県立犬山高校に入学。サッカー部に入るつもりだったが、クラブ紹介を聞きに行って気持ちが変わる。

 たまたまその時にいた先輩が「他の何々部は不良がいっぱいいるからやめとけ」とか、そんな話ばかりする。嫌になった。

 加えて当時サッカー部は強くて部員がけっこう多かった。レギュラーにはなれないなという思いもあった。

 サッカー部に入るのを思いとどまって他のクラブを見ていたら、野球部は3人くらいゆっくりグラウンドをならしていた。話を聞いたら緩い感じで、部員も3年生と2年生を合わせて10人ちょっとだという。これなら試合に出られそうだな。そう思って野球部に入った。

 1年生が入っても20人に届かず、全員がベンチに入れた。それでも、やるからにはレギュラーになりたい。ポジション事情を考えた。最初は小学校の時に守っていたショートがよかったが、ここには地元の犬山中学でやってたヤツがいる。

 二塁や三塁も埋まっていて、センターだけ3年生が1人。2年生がいなかった。この人が抜けたらレギュラーになれる。そう思って、一度もやったことのない外野を志願した。

 1年夏の愛知大会は1回戦で東海に1―3で敗れ、新チームがスタート。狙い通りレギュラーの座が回ってきた。

 控え投手も兼任した2年夏は準決勝まで勝ち進んだ。初戦の2回戦で名古屋に5―4と競り勝ち、3回戦は昭和に1―0(延長15回)、4回戦は豊橋商に3―2。準々決勝では後に駒大から76年ドラフト4位で日本ハムに入る大宮龍男さんを擁する享栄を5―3で破った。

 準決勝の相手は同じ2年生に後に早大から77年ドラフト1位で巨人入りする山倉和博がいる東邦だった。その後捕手になる山倉はショートを守って5番を打っていた。

 試合は3年生のエース、杉山昭典さんが3回に一挙8失点。ここまで一人で投げ切ってきてクタクタだった。5回途中から僕がリリーフしたが、東邦打線の勢いは止められず、4―15。7回コールド負けで帰ろうと思ったら、準決勝はコールドはないと言われ、9回まで投げ切った。

 最後は大敗したものの、まさかのベスト4。5試合全てに3番・センターで先発出場して24打数10安打5打点、打率・417とよく打った。

 背番号1をもらった3年の夏は1回戦で岡崎工に0―13の8回コールド負け。4回まで0点に抑えながら、5回からフラフラで打ち込まれた。明らかに練習不足だった。

 この時ほど、真面目に練習しとけばよかったと悔やんだことはない。みんなに悪いなと思った。

 ◇平野 謙(ひらの・けん)1955年(昭30)6月20日生まれ、名古屋市出身の70歳。名古屋商大から77年ドラフト外で中日入団。88年に西武、94年にロッテ移籍。右投げ両打ち。俊足強肩の外野手として活躍する。ゴールデングラブ賞9回。盗塁王1回。歴代2位の通算451犠打。引退後はロッテ、日本ハム、中日、社会人、独立リーグなどで指導を続ける。現在はクラブチーム、山岸ロジスターズ監督。

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