【平野謙 我が道3】野球部はなかった 中学時代はサッカーを楽しむ

[ 2025年10月3日 07:00 ]

サッカーが楽しかった前津中時代(右が筆者)
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 1968年(昭43)4月、名古屋市立前津中学に入学したら野球部はなかった。街中の学校で校庭が狭く、野球部はつくれないという話だった。

 それでも野球にそれほど執着していたわけじゃない。最初はバスケットボール部に入った。最終的には1メートル79になるが、当時は背が低くてね。「バスケをやれば背が伸びる」。その言葉を信じて入ったのだが、5カ月ほどでクビになる。

 夏休みの宿題をやっていなくて、ぎりぎりで片づけるために練習をサボったら「もう来なくていい」となったのだ。

 バスケ部を出されると、仲の良い友達に卓球部へ誘われた。「じゃあ勝負しよう。負けたら入るよ」と言って、負けて入るのだが、これも1年生の終わりまでだった。部の中に気に入らないヤツがいて、そいつとダブルスで勝負して勝ってやめた。

 次はサッカー部から声がかかった。1年秋のメキシコ五輪で日本は釜本邦茂選手や杉山隆一選手らの活躍で銅メダルを獲得。盛り上がっていた。93年にJリーグが発足するずっと前。日本リーグの時代だった。

 サッカーは面白くて、卒業するまで2年間続けた。部の仲間とは、それぞれ「ヤンマーに入る」「じゃあ俺は古河電工だ」なんて当時の強豪チームの名前を口にしながら「またどっかで会おう」と言って別れた。

 部活のおかげで楽しい中学生活が送れた一方、平野金物店はどんどん厳しい状況に追い込まれていった。

 復学した高校を卒業した姉は、なけなしのお金をはたいて運転免許証を取り、中古のライトバンを購入。商品を積んで雑貨店のない地区の団地へ行商に行った。僕も一緒に行って「大きい声を出して!」と言われたが、なかなか声が出せなかった。

 大型スーパーが次から次にできて、小さな小売店は限界。店を畳んで店舗兼住宅を売り、郊外へ引っ越すことになった。

 岐阜県恵那市に住む母方の親戚に「犬山市にいい建て売りがあるよ」と勧められ、そこに決めた。中学3年生の時で、引っ越しを前提に愛知県立犬山高校を受験し、合格。両親との思い出が残る平野金物店に別れを告げた。

 姉は三菱重工の中にある売店の薬局で働き、通勤途中に警察署にかけられた「婦人警察官募集」の垂れ幕を見て応募。見事合格して愛知県警察中村警察署交通課に配属された。その後、同僚の内藤元雄(げんゆう)さんと結婚。「白馬のルンナ」を歌った人気女優と同じ名前、内藤洋子になった。

 陸軍時代、戦地で俳句を詠んでいたという父の文才を引き継いだ姉は、後にエッセイストとなり、91年に「わが故郷は平野金物店」(エフエー出版)という本を出版。96年にはこの本を原作としてNHKで「ようこそ青春金物店」というタイトルのドラマが放送された。

 ◇平野 謙(ひらの・けん)1955年(昭30)6月20日生まれ、名古屋市出身の70歳。名古屋商大から77年ドラフト外で中日入団。88年に西武、94年にロッテ移籍。右投げ両打ち。俊足強肩の外野手として活躍する。ゴールデングラブ賞9回。盗塁王1回。歴代2位の通算451犠打。引退後はロッテ、日本ハム、中日、社会人、独立リーグなどで指導を続ける。現在はクラブチーム、山岸ロジスターズ監督。

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