巨人・加藤健2軍バッテリーコーチ 不変の新潟愛!終わらない故郷への恩返し

[ 2025年6月10日 05:30 ]

地元新潟のハードオフ新潟で写真に納まる加藤2軍コーチ
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 新潟県出身の巨人の加藤健2軍バッテリーコーチ(44)が、引き続き地元の野球発展に貢献していくことを誓った。新発田農時代は98年春夏の甲子園に出場し、名門・巨人で計18年もプレー。現役引退後の17年から3年間はBC新潟(現オイシックス新潟アルビレックスBC)で球団社長補佐などを務めた男は新潟野球界の誇りだ。今季も古巣との試合で何度も足を運ぶ地元に対し、恩返しを続けていく。

 生まれ育った故郷に恩を返す。その思いは、この先もずっと変わらない。加藤バッテリーコーチは「去年からオイシックスがイースタン・リーグに入ってくれたおかげで、今年も何度か新潟に来ることができる。少しでも地元に協力できることがあればやっていきたいです」と約束した。

 新発田農では強打の捕手として、3年だった98年に春夏甲子園に出場。夏はソフトバンクなどで活躍した和田毅擁する浜田(島根)を相手に初戦で敗退したが、同年ドラフト3位で巨人に入団した。伝統球団でレギュラーに定着はできなかったものの、ひたむきな性格と堅実な守備でチームを支え、16年まで計18年間もプレー。現役晩年に「18歳まで過ごした新潟に恩返ししたい」との思いが強くなり、翌17年にはBC新潟で球団社長補佐に就任した。

 「高卒でプロに入ったから、社会のことが何も分かっていない。いろいろなことを学びたい」との思いもあって、何事にもチャレンジ。チーム編成だけでなく、営業にも携わるなど、球団と地元が発展していくために何ができるかを常に模索した。19年には総合コーチも兼務。手探りでも充実していた当時の日々は、指導者として、人間としての幅も広げてくれた。

 生活の拠点は東京だが、居酒屋のメニューやスーパーの商品で「新潟産」の文字を目にすれば手を伸ばす。ハードオフ新潟で行われるオイシックス戦では友人、知人ら多くの関係者が来場し、観客動員にも一役買っている。「新潟に対して自分に何ができるか、をいつも考えています」と言葉に力を込める。

 常勝を課されるチームで2軍バッテリーコーチという重責を担う。「捕手は人の気持ちが分からないと打者を抑えることができない。技術はもちろん、観察力とか、技術以外のことも伝えていきたいです」。新潟への思いを胸に、指導者としてもステップを上がる。(山田 忠範)

 ≪22年に聖籠町の「スポーツ大使」に就任≫17年から3年間はBC新潟で活動して地元への恩返しを続け、20年から巨人に復帰したが、地元での活動が認められ、22年11月には生まれ故郷である聖籠町の「スポーツ大使」に就任した。シーズン中も、オフも問わずに新潟に貢献することを視野に入れている加藤コーチは「自分は野球だけど、サッカーや他の競技でも仲間はいる。地域と一緒になってスポーツを盛り上げていければな、と思っています」と今後を見据えた。

 ◇加藤 健(かとう・けん)1981年(昭56)3月23日生まれ、新潟県北蒲原郡聖籠町出身の44歳。新発田農では3年だった98年春夏に甲子園出場もいずれも初戦敗戦。同年ドラフト3位で巨人入団。通算成績は185試合で打率・216、3本塁打、24打点。現役引退翌年の17年から3年間はBC新潟で球団社長補佐などを歴任。20年から3軍バッテリーコーチで巨人に復帰し、21年から2軍バッテリーコーチ。1メートル86、93キロ。右投げ右打ち。愛称は「カトケン」。

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