阪神・横田、脳腫瘍から復帰も実戦出場かなわず引退 セレモニーも検討

[ 2019年9月22日 05:40 ]

阪神の横田慎太郎
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 阪神・横田慎太郎外野手(24)が、今季限りで現役を引退することが21日、分かった。将来の中軸候補として期待された大型外野手は、17年に脳腫瘍を患い半年間の闘病を経験。復帰後は1軍の舞台を目指して不屈の精神でトレーニングを続けてきたが実戦出場もかなわなかった。野球を愛し、すべてを捧げてきた生粋の「野球少年」が、自らの意思でユニホームを脱ぐ。

 どれだけ重く、苦しい決断だったか。横田が、野球をやめる。6年間、泥だらけにしてきたユニホームを脱ぐ時が来てしまった。

 高卒4年目だった17年2月。1軍メンバーに名を連ねた沖縄春季キャンプ中に頭痛の症状を訴え、脳腫瘍が判明。半年の闘病生活を経て、8月下旬には症状が消え安定した状態となる「寛解」と診断され、9月3日に虎風荘に戻り、リハビリを開始した。

 育成契約で再起を期した18年の春季キャンプで屋外フリー打撃を再開。守備でシートノックに入り、ホームでの公式戦ではベンチ入りして仲間に声援を送るなど、実戦出場へ向けて着実にステップを踏んできた。

 「背番号24を取り戻す」――。胸に刻んできた言葉だ。地元・鹿児島では、見知らぬ人から声をかけられることも増えた。「試合に出て恩返ししたい」。誰かのために、という思いは日々強くなった。一方で、走攻守で試合出場できる状態にはいまだに至っておらず、今季もここまで公式戦出場はない。来季へ目を向けた時、心身ともに限界を感じ、自ら区切りをつけた。

 ポテンシャルの塊と言えるその体躯に誰もが夢を見た。入団3年目の16年。春季キャンプから実戦で圧倒的な結果を残して就任1年目だった金本監督の目に留まり、開幕スタメンを奪取した。3月25日の開幕戦でプロ初盗塁、同2戦目にはプロ初安打もマークするなど、1軍で38試合に出場し存在感を示した。

 「もう一度、甲子園で暴れ回る」。“その時”のために本拠地での登場曲は昨年から、ゆずの「栄光の架橋」に変更。大切な1曲だった。「入院中、抗がん剤、放射線治療の影響で今までできていたことができなくなった。自力で立ち上がれなかったり、目の前にあるものが取れなくなったり…」。心が折れかけた中で、背中を押してくれた歌だった。

 「本当に力をもらった曲。この曲で打席に向かいたいんです」
 鳴尾浜の室内練習場にバットと小型スピーカーを持って向かうことが当たり前になった。「曲を流してイメージしてます」。聖地へとつながる「架橋」をただ信じて、懸命にバットを振り続けた。

 球団は、セカンドキャリアに関してもサポートする考えで、本人の意思を尊重し今後の進路は決まる。ファンに最後の別れを告げる引退セレモニーも検討している。

 振り返れば、すべてを出し切ったと思える6年。数え切れない夢を背負ったまま、横田は、野球をやめる。(遠藤 礼)

 ◆横田 慎太郎(よこた・しんたろう)1995年(平7)6月9日生まれ、鹿児島県出身の24歳。鹿児島実から13年のドラフト2位で阪神入団。3年目の16年に1軍デビューを果たし、シーズン38試合で打率・190、4打点、4盗塁。翌17年2月に脳腫瘍が判明。入院、治療を経て8月下旬に寛解。同年オフに育成選手となる。1メートル87、94キロ。左投げ左打ち。

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