鬼監督から一転“ほほ笑み”の指揮官に 女子バスケ・恩塚亨監督が狙うパリ金への道「好きは最強」

[ 2024年5月15日 05:30 ]

パリ五輪開幕まであと72日 企画「アレ ア パリ(行けパリへ)」

ポーズを決める女子バスケ日本代表・恩塚亨ヘッドコーチ(撮影・大城 有生希) 
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 バスケットボール女子日本代表は準優勝した21年東京五輪を上回る金メダルを目標に掲げる。東京五輪後にアシスタントコーチから昇格した恩塚亨監督(44)は“ほほ笑みの指揮官”の異名を持つ。ベンチからポジティブな言葉で選手を鼓舞する姿が目を引くが、数年前までは高圧的な指導で選手から恐れられていた。指導法を180度変えた経緯や真の姿に迫った。 (取材・構成 木本 新也)

 20年9月。東京医療保健大を指揮してインカレ4連覇を目指していたシーズンの真っ最中に、恩塚監督は選手を集めて宣言した。「俺、明日からやり方を変えるわ」。この日を境にスパルタ指導と決別し、前向きな言葉で選手のやる気を引き出すスタイルに切り替えた。手探りの状況の中、その年のインカレを制覇。翌21年も5連覇を達成し、新たな指導法に手応えを得た。

 同大学が新設された翌年の06年にバスケ部を立ち上げて監督に就任し、創部11年目の17年にインカレを初制覇。高圧的な指導で選手をコントロールして強豪をつくり上げた。コートの空気は常に張り詰め、選手もスタッフも笑顔はない。全国制覇直後の集合写真でさえ、後で説教されることを恐れて顔を引きつらせる選手がいたほどだ。

 結果を出した一方で、肝心な場面で萎縮して積極的なプレーをできない選手、言われたことを機械的にこなすだけで創造性を欠く選手を見て“恐怖政治”に限界も感じていた。「このままでいいのか」。疑問を感じながら采配した試合で審判を批判してテクニカルファウルを取られた。帰路に就く車中で、振る舞いを含めた威圧的な指導態度を自問自答。これが方針転換の決め手となった。

 恩塚監督は選手を怒鳴り続ける当時の指導を「もぐら叩き」と表現し「選手を叩き続けることに一生をささげるのは違うと思った」と振り返る。

 知識の裏付けもあった。コロナ禍突入から1年半で約800冊の本を読破。心理学、脳科学、ビジネス書、リーダー論などあらゆるジャンルから情報を吸い上げた。「人間の脳は恐怖を覚えると、死なないために戦うか逃げるかを瞬時に判断するので、クリエーティブな発想はできない」。読書を通して“ワクワクは最強”との言葉にも出合った。「映画の“タイタニック”でディカプリオは何としてもローズ(ケイト・ウィンスレット)に会いにいく。好きなら勝手にクリエーティブに動く。好きは最強なんです」。見識が深まるほど怒ることは非効率的だと感じた。

 20年秋以降は声を荒らげることは一切なくなった。21年東京五輪後に女子日本代表の監督に就任。1次リーグで1勝4敗と惨敗した22年W杯後には複数の選手から「もっと怒ってください」と言われたが「怒るのは方法論として違う」と諭した。

 W杯後は女性の思考に対する理解を深めようと、女子高で約40年教員を務めた男性や、六本木のクラブの経営者らを訪問。女性と接する機会の多い人々から得た学びは「女性に限らず、人の気持ちは分からない」だった。

 「1時間前の自分と今の自分の気持ちは違う。自分のことも分からないのに、人の気持ちを分かるはずがない。諦めるのではなく、分かろうとする努力はする。相手と向き合い、自分の思いを誠心誠意伝える作業を丁寧にやるしかない」。選手、スタッフとの対話はより丁寧になった。2月の五輪最終予選ではスペイン、カナダの格上を撃破。コートには自らの夢をかなえるために主体的に動く頼もしい選手たちがいた。

 鬼の恩塚と、仏の恩塚。どちらが本当の姿なのか。「偉大な監督は厳しいイメージがあるので、そっちに寄せていた部分はある。そっちの人を利用して怒りを正当化していたんだと思う」。今も怒りの感情が湧くことはあるが「一時の感情と大局観をてんびんにかけ、大きな願望に小さな願望を従わせている」と表には出さない。

 「勝つためにどっちがいいかという話。僕は勝つためなら何でもするので」

 この言葉だけを切り取れば、勝利のために感情を操るリアリストのように映るが、それは少し違う。恩塚監督は漫画「スラムダンク」の大ファン。中でも最終回で主人公の桜木花道が定番フレーズ「天才ですから」を発するラストシーンをこよなく愛する。過去には「あの時の花道の表情は、素敵で格好いい。ああいうことを言える選手が増えたらいいなと思います」と語っていた。指導法が180度変わっても、根底にあるバスケ愛は何も変わっていない。

《瞬時の判断力磨き、速さとシュート力を追求》
 チームコンセプトは“走り勝つシューター軍団”。サイズで劣る日本人が世界で勝つために、速さとシュート力を追求する。試合のテンポを落とさないため、2人のガードを起用。恩塚監督は「スピードを絶対に失わないためのシステムやラインアップ。日本の良さを最大限生かすため、サイズを追求することはない」と断言する。

 セットプレーの種類も多彩だが、常に「妨害されて壊される」ことを想定。状況に応じた判断力を磨く練習に時間を割く。「ベースとなるシステムの中で“こう来たらこう”と、後出しじゃんけんのようにプレーできる力をひたすら高めている」。求めるのは機械的なプレーではなく、瞬時の判断力。自主性を重んじる現在の指導スタイルにも通ずる。

 2月の世界最終予選のカナダ戦では相手に2倍近いリバウンドを取られながら4点差で競り勝った。既成概念を覆すスタイルは世界でも評価され、恩塚監督は過去にNBAのスーパースター、ドンチッチらを指導したスペイン人の大物監督から「強い、と言うか、違うね」と声をかけられたという。

 ◇恩塚 亨(おんづか・とおる)1979年(昭54)6月5日生まれ、大分県出身の44歳。筑波大卒業後に渋谷教育幕張高の教師となり、女子バスケ部の顧問に就任。関連校の東京医療保健大新設のタイミングで企画書を提出し、女子バスケ部を設立した。創部11年目の17年からインカレ5連覇。日本協会にも自ら売り込み、06年にU―21女子日本代表の分析担当に就任。07年から女子日本代表のアナリストなどを歴任し、21年東京五輪後に監督に昇格。早朝の筋トレが日課。趣味は神社参拝。好きな言葉は「やってみよう」。

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