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1999年元日の天皇杯Vで消滅「ついに最後のフリューゲルス戦士が…」 遠藤保仁引退にファン感慨

[ 2024年1月9日 16:00 ]

遠藤保仁
Photo By スポニチ

 サッカー元日本代表MF遠藤保仁(43=磐田)が9日、23年シーズンを最後に現役を引退することを発表した。今後は21年まで在籍した古巣・G大阪に戻り、トップチームのコーチに就任する。

 ともに歴代トップのJ1通算672試合出場、国際Aマッチ通算152試合出場。代名詞の「コロコロPK」や「ヤット」の愛称でもファンに親しまれたレジェンドがついにスパイクを脱ぐことを決めた。

 遠藤の引退により、1993年のJリーグ創設当時からあった「オリジナル10」のクラブの一つで、98年シーズンを最後に事実上消滅した「横浜フリューゲルス」でプレーした現役選手がついにいなくなる。

 4度のW杯メンバー入りを誇るレジェンドGK楢崎正剛が2018年限りで現役を引退。それと同時に遠藤は“最後のフリューゲルス戦士”となっていた。

 「横浜フリューゲルス」は、出資会社の一つであった佐藤工業の経営不振をきっかけにライバルチームの「横浜マリノス」と合併することが98年10月に突如発覚。選手やサポーターが激しく反発し、署名活動のため選手が街頭に立つなど大きな騒動となった。

 だが、決定は覆らず。心を一つにしたチームはその後に初戦を迎えた天皇杯を勝ち上がり、99年元日の決勝戦では清水を破って優勝。この試合を最後に事実上の消滅となった。

 形式上はマリノスへの吸収合併で「横浜マリノス」はフリューゲルスの「F」を加えた「横浜F・マリノス」へ改称し、フリューゲルスの選手の一部もそのまま新生マリノスでプレーすることに。だが、ライバルチームでプレーすることを望まず、移籍した選手も多かった。

 楢崎はスタメン表に書かれる「前所属チーム」に「横浜フリューゲルス」と記載されていることを誇りに、1999年から現役を引退する2018年まで名古屋でプレー。一方で、高卒新人として加入したクラブが1年で消滅という憂き目にあった遠藤は99年から京都に移籍し、その後はG大阪、磐田と移籍している。

 遠藤の引退発表後、X(旧ツイッター)では「遠藤保仁」「ヤットさん」などとともに「フリューゲルス」もトレンドに。「ついに最後のフリューゲルス戦士が…」「長い間フリューゲルスの名前を守ってくれてありがとうございました」などと、遠藤を労うとともに「フリューゲルス」に思いをはせる声も続出していた。

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