×

神戸初代強化部長・安達氏が語るドン底からの軌跡 チーム始動日を襲った大震災

[ 2020年1月3日 05:00 ]

天皇杯決勝   神戸2―0鹿島 ( 2020年1月3日    国立 )

<天皇杯決勝 神戸・鹿島>優勝し喜ぶ三木谷会長(前列中央)と神戸イレブン(撮影・井上 徹) 
Photo By スポニチ

 神戸がクラブ史上初のタイトルを獲得して来季のアジアチャンピオンズリーグ(ACL)出場権を獲得した。クラブが創設され、JFL参戦初年度だった95年には始動日に阪神・淡路大震災が発生。初代強化部長で、のちにGMや社長を務めた安達貞至氏(81)は、当時を振り返り、万感の思いを語った。

 未曾有の災害、そして消滅危機を乗り越えて悲願を達成した。神戸の初代強化部長だった安達氏は、新国立のスタンドで天皇杯決勝を観戦。「勝てて本当に良かった。最後の方は、見ていたら自然と涙が出てきた」と万感の思いを口にした。

 川崎製鉄サッカー部を前身とし、95年から活動を始めた神戸。その始動日だった1月17日、午前5時46分に阪神・淡路大震災が発生した。

 「当時、ジアードという選手との交渉でポルトガルにいた。そうしたら、同行の通訳から電話があって“安達さん、CNNを見てください。神戸が大変なことになってます”と。見たら、高速道路が倒れて、長田の火事の映像が流れていた」

 選手やスタッフらの無事は確認できたものの、グラウンドは瓦礫置き場となった。倉敷にある川崎製鉄の社員寮とグラウンドを借りて2月6日から動き出した矢先、今度は運営会社の筆頭株主だったダイエーが突如、震災の影響で撤退を表明する。緊急ミーティングで土屋忠彦社長から聞かされた選手たちは涙を流し、寝耳に水だった安達氏も泣いた。

 窮地に陥り、まず向かったのが神戸市の笹山幸俊市長のもと。協力をお願いすると「安達くん、俺は“ヴィッセルは潰さない”と約束する。スポンサーだったりも協力するから、君たちはヴィッセルを強いチームにして、勝つことで市民に力を与えてほしい」と熱い言葉をかけられた。
 神戸市が所有するビルの一室に居を構え、14人から4人にまで減ったスタッフで再スタートした。部屋は暖房が効かず、FAXを借りようとすると信用調査の末に断られた。練習場を転々とし、時に須磨の海岸や学校の運動場でボールを蹴った。新たな選手と交渉すれば「潰れそうなクラブには行けない」と返された。逆風だらけだったが、スポンサーを集め、人を集め、翌年にJFLで2位となり、Jリーグ昇格を勝ち取った。

 04年からは楽天の三木谷浩史社長が代表を務めるクリムゾンフットボールクラブが営業権を持ち、05年5月から再び神戸のGMを務めた安達氏らのもと、苦戦しながらも一歩ずつ歩んできた。震災から25年が経過し、ようやくつかんだタイトルに「いろんなことを思い出したよ」と同氏は言葉を詰まらせた。クラブの規模は大きく代わっても、神戸の象徴としてあり続ける根幹は変わらない。

続きを表示

この記事のフォト

2020年1月3日のニュース