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【浅野拓磨手記】7人の子供育てた両親に感謝「親孝行するためにプロに」

[ 2015年12月6日 08:30 ]

<広島・G大阪>優勝の瞬間、ガッツポーズする浅野

JリーグCS決勝第2戦 広島1―1G大阪

(12月5日 Eスタ)
 僕にとっては初優勝のような感覚がある。13年に優勝した時はプロ1年目で、出場は1試合。正直、あんまり実感はなかった。今季は第6節のFC東京戦でリーグ戦初ゴールを決めることができて、結果的に(J1で)8得点を挙げられた。目標の2桁得点には届かなかったけど、優勝に少しは貢献できたのかなと思う。たくさんのチャンスを外してきてチームに迷惑をかけてきたからこそ、(最後は)自分で試合を決めたいと思っていたのでよかった。自分の特長はスピードで、持っているもの全てをぶつけようと思っていた。皆さんと喜ぶことができて凄くうれしい。

 この喜びと感謝を、一番に家族に伝えたい。自分は7人きょうだいの三男で、高校を卒業するまで両親も合わせて9人で生活していた。お父さんはトラックの運転手。きょうだいが多く金銭的に苦しいこともあり、ほかの家庭にない生活の厳しさを感じた。「ウチって金ないなあ。この先どうなんねやろ」と子供ながらに考えることもあって。それでもサッカーは不自由なく続けさせてもらえた。

 自分にとっての分岐点は高校入学前。サッカーの強い四日市中央工高は遠征費とかが高いと聞いていて、僕はお金がかからない強くはない学校に行こうと考えていた。でも、中学の先生が「本当にいいのか?」と説得してくれて、最後は両親が「行っていいよ」と背中を押してくれた。その時、自分の気持ちが「プロになりたい」じゃなく「ならなくちゃいけない」に変わった。

 高校に入ってレベルが高くなり、気持ちが折れそうになったときも「タクはプロになれる」と家族は支えてくれた。今でも週に1、2回は三重の実家にテレビ電話をかけていて、今年4歳になる妹や、家族全員と話している。活躍すれば一緒に喜んでくれて、ゴールを決められなかったときは一緒に悔しがってくれて。思うようにならずに気持ちが沈んでいるときでも、家に電話をすれば元気が出てくるし、また頑張ろうと思えてくる。

 プロになってから、両親に車をプレゼントすることができた。一つの親孝行ができたけど、まだまだ。僕は「これ(親孝行)をするためにプロになった」と思っているから。金銭面もそうだけど、僕が活躍して、テレビに映っている姿を見せるだけでも、元気や喜びを与えられると思う。

 確かに生活が苦しいと感じることもあったけど、違う家庭に生まれていたら僕は絶対にここまで来られなかった。実家で過ごした18年間は本当に楽しくて、幸せで。振り返ってみても、楽しい思い出がいっぱい浮かんでくる。あの幼少期がなかったら今の自分はない。サッカー選手として成長して、もっと恩返しをしていきたい。(サンフレッチェ広島FW)

 ◇浅野 拓磨(あさの・たくま)1994年(平6)11月10日、三重県菰野町出身の21歳。ペルナSCから八風中に進み四日市中央工高へ。2年時の高校選手権では得点王に輝いて準優勝。13年に広島入団。今季32試合出場8得点でJ1通算44試合出場8得点。今年7月には日本代表に初選出され、国際Aマッチ出場3試合0得点。1メートル71、70キロ。

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2015年12月6日のニュース