唐十郎さん 劇団関係者が明かした最後に交わした会話 「唐さんらしかった。サービス精神旺盛で…」

[ 2024年5月5日 11:30 ]

取材に対応した唐組座長代行の久保井研氏(撮影・佐藤 昂気)
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 アングラ演劇の旗手として活躍した劇作家の唐十郎(から・じゅうろう、本名大鶴義英=おおつる・よしひで)さんが4日、東京都中野区の病院で死去した。唐さんが主宰する「劇団唐組」が5日、発表した。84歳だった。訃報を受け、劇団の座長代行・久保井研氏が5日午前、都内で会見を行い、唐さんと最後に交わした言葉を明かした。

 久保井氏は「最近、直接何かアドバイスということはありませんでした。我々幹部連中も含めまして、20年以上唐さんと一緒に作ってきたので、思考会話というか私なりに想像して作ってきました」と説明。「とにかく観客が待っている。とにかく芝居を打つんだ、飯を食うように芝居をやる。その言葉が一番残っています」と語った。

 直接会ったのは地方公演前の4月13日。その時の様子について「思いのほか、足取りがしっかりしていた。いつもは脇を抱えて歩かれるという感じだったが、当日は手を添えるくらいで歩かれたので“しっかりしてますね”と声かけたら“そうなんだよ”と唐さんらしかった。サービス精神旺盛で私たちにも手を振ってくれた」と振り返った。

 座長との別れに「正直まだよくわかりません。いつか突然そういうものが訪れるかもしれない」と複雑な心境も吐露。劇団はこの日から新宿・花園神社にて「泥人魚」を上演する。「今はたくさんのお客さんがいらっしゃると思うので初日の幕をしっかり開けたい」と前を見据えた。

 同作に残した唐さんの言葉について「言葉はどれも宝物。どれか一つというのは難しい。唐さんは人と人との絡み合い、人間臭さを描きたい人だった。『泥人魚』という話は諫早の話をモチーフにしている。まず何より人間臭さ。それを知的にメタファーに置き換えている」と話した。

 劇団は「5月4日21時01分に(右)急性硬膜下血腫で永眠致しました」と発表。1日午前中に自宅で転倒し、中野区内の病院に緊急搬送されたという。

 唐さんは、1940年(昭15)2月11日生まれ、東京・下谷万年町出身。明大文学部演劇学科卒。63年に「シチュエーションの会」(64年に劇団「状況劇場」に改名)を結成し、67年、新宿花園神社で“紅テント”公演を行う一方、根津甚八、小林薫、佐野史郎ら多くの俳優を輩出した。

 86年の公演を最後に状況劇場を解散。88年に唐座をつくり、3月東京・浅草に巨大テントでつくった“下町唐座”を完成させた。

 劇作家として70年に「少女仮面」で岸田戯曲賞を受賞。小説家としても78年に「海星・河童」で泉鏡花文学賞、83年に「佐川君からの手紙」で芥川賞を受賞した。横浜国立大や母校・明治大で教壇にも立った。

 2021年に文化功労者。67年に李礼仙(李麗仙)さんと結婚するが、86年4月離婚。俳優の大鶴義丹は長男。

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