生島ヒロシ「普通の平凡な暮らしがどれだけ幸せか」東日本大震災で妹亡くし基金設立「風化させないこと」

[ 2023年6月15日 14:23 ]

生島ヒロシ
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 フリーアナウンサー生島ヒロシ(72)が、15日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)に出演。実の妹を津波で亡くした2011年3月11日の東日本大震災を振り返った。

 宮城県気仙沼市出身の生島は、3・11の震災、津波により妹の喜代美さん(享年57歳)を亡くした。「義理の弟は未だに見つかってないんですけど、妹は近くの川で見つかりました。人生って本当に思いもかけないというか、まさかの坂があるんだなってつくづく実感しました」と声のトーンを落とした。

 震災直後は「(妹が)しばらく見つからなかったんです。朝のラジオ番組やらなければいけないし、金曜日に震災が起きましたから(週が明けた)月曜の朝の放送はお通夜みたいな放送になっちゃいまして。うちの妹だけじゃなくて友達も亡くなったりしましたから」とどうしても暗くなったという。「その時にラジオのリスナーの皆さんがすごい励まして下さった。“あなたから朝の元気を受けているんだから、生島さんのつらい声を聞くと、こちらも元気がなくなります”って言われて、そこで奮い立った」という。

 また、「アッコにおまかせ」で共演していた和田アキ子からも電話があったといい「1週間ぐらいたった時ですかね。“希望を持つのはいいけど、一方である程度、覚悟を決めなければいけない”というようなことを言ってくれて。“あんたが長男だし頑張らないと他の皆も大変だから頑張りなよ”って発破をかけられちゃって、それで心が決まった」と和田の言葉も活力になったとした。

 さらに「お坊さんにも言われたんですけど、残念な形であの世に旅立った方はなかなか思うように納得できないで逝くわけですから、上から見てて残された人が嘆き悲しんでいると、よりつらいよって言われたんですね」と振り返り「百箇日法要ってありますけど、卒哭忌(そっこくき)と言いまして、慟哭、嘆き悲しむことに別れを告げて卒業して、一つ区切りを付けるのが百箇日法要の意味だって」と教わったという。

 生島は「和田さんの言葉、ご住職の言葉で“よし”と。つらい別れであるけど、残された人たちがその人たちの分まで必死になって生きるということが役割、使命だなって本当に腹をくくることができましたね」と語った。

 気仙沼の実家は津波により「すっかりなくなっちゃいましたね」と跡形もなく流されたといい「戦争もありますが、平穏な普通の平凡な暮らしができるのがどれだけ幸せかってつくづく思いますね」としみじみと語った。

 そして「あの時に一番何が大変かって思ったらご両親を亡くした子供たち」とし「僕は身の丈でやろうと思ったので、“アッコヒロシ基金”をつくりまして、13人の子たちが高校を卒業するまでなんらかの形で、奨学金みたいな形で送り続けると」と和田アキ子とともに基金を設立し、震災孤児を支援。「今も続けてて、最後の1人が卒業することになるので、ちょっとはお役に立てたかなって思います」とした。

 生島は「風化させないことが重要。いろんな形で情報発信したり、街のお役に立てればと思います」と今後も被災地支援を続けると約束した。

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2023年6月15日のニュース