ジェリー藤尾さん死去 81歳、美声歌手「遠くへ行きたい」大ヒット、テレビや映画でも活躍

[ 2021年8月15日 05:30 ]

84年6月、ステージで歌うジェリー藤尾さん
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 ヒット曲「遠くへ行きたい」で知られる歌手で俳優のジェリー藤尾(じぇりー・ふじお、本名藤尾薫紀=ふじお・しげき)さんが14日午前4時52分、急性肺炎のため横浜市の次女夫妻の自宅で死去した。81歳。中国・上海市生まれ。葬儀は20日に近親者で行う。喪主は次女板谷亜紀(いたや・あき)さん。歌手仲間も魅了する美声を誇る一方、タバコと車をこよなく愛し、けんかは芸能界最強という豪快さがあった。

 関係者によると、1日数箱というヘビースモーカーで「タバコをやめるんだったら死んでやる」が口癖だったジェリーさんは、COPD(慢性閉塞性肺疾患)を抱えていた。次女夫婦宅の近所にマンションを借りて1人暮らししていたが、コロナ下で仕事がなくなり外出しなくなったことで足腰に衰えが見え始め、約3カ月前に次女夫婦宅に移り住んだ。

 これを機に体のことも考え禁煙。長年乗った外車「ハマー」も手放していた。13日午後8時ごろ、次女が薬を飲ませにいくとジェリーさんは寝ており、改めて深夜に部屋をのぞいたところ、容体が急変していた。訪問医療の主治医が駆けつけたが息を引き取った。

 ジェリーさんは日本人の父と英国人の母の間に生まれ、1946年(昭21)に日本に引き揚げてきた。高校在学中、東京・新宿のジャズ喫茶で飛び入りで歌ったところを芸能プロにスカウトされた。

 奔放でコミカルなキャラクターでいきなり人気者に。デビュー2年目の62年には、レギュラー出演していたNHK「夢であいましょう」の「今月の歌」として発表した「遠くへ行きたい」が大ヒットし、スターとなった。

 歌手としては61~63年、NHK紅白歌合戦に3年連続で出場。テレビのバラエティー番組でも活躍した。歌手活動の傍ら、61年に公開された黒澤明監督の映画「用心棒」など俳優としても活躍。また「芸能界歴代最強」ともいわれる腕っ節の強さでも広く知られていた。曲がったことが嫌いで、言葉の正しいアクセントにもこだわりを持っていたという。私生活では64年に、歌手の渡辺友子(76)と結婚。女児2人をもうけた。ところが86年、約半年の別居を経て離婚。その際に渡辺が「酒浸りでDV」「経済的に困窮」などジェリーさんの醜聞を吹聴。ジェリーさんはバッシングに遭い、表舞台から消えることになった。しかし90年、長女が渡辺の乱れた素行や男性関係を暴露し批判は収束に向かった。

 俳優としては19年のテレビ朝日「やすらぎの刻~道」に出演。最後のステージは20年に収録され、21年元日にBSテレ東で放送された「日本歌手協会歌謡祭」となった。関係者によると、9月末に東京・中野サンプラザで行われる同歌謡祭にも出演を検討していた。「最後の舞台でも共演者を魅了していた。もう一回歌ってほしかった」としのんだ。

 ◇ジェリー 藤尾(じぇりー・ふじお、本名藤尾薫紀=ふじお・しげき)1940年(昭15)6月26日生まれ、中国・上海市出身。専修大学付属京王高在学中の57年にバンドボーイとして米軍キャンプを回り始める。58年に「水原弘とブルー・ソックス」のシンガーとして日劇ウエスタンカーニバルに初出演。61年に「悲しきインディアン」でソロデビューした。離婚後は独身を貫き、一時、千葉市の有料老人ホームに2年ほど入ったほかは1人暮らしをしていた。

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