佐野慈紀氏 右腕切断手術受けると告白 糖尿病からの感染症進み…「生きる為には乗り越えないと」

[ 2024年4月30日 04:30 ]

佐野慈紀氏
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 元近鉄、中日投手の佐野慈紀氏(56)が30日、自身のブログを更新し、5月1日に右腕切断の手術を受けることを告白した。プロで41勝を挙げた右投手が、利き腕の右腕を切断する苦渋の選択となった。

 30日が56歳の誕生日。日付が変わった午前0時1分にブログを更新し「56歳になりました」と報告して「55歳はまさかの1年入院生活」と、この1年の壮絶な闘病を振り返った。

 それによると、昨年の4月に「右足中指の感染が発覚。重症下肢虚血 緊急の為、右足中指を切断。治療の為、強制入院生活始まる。遅ければ右足を失うとこだった。回復に時間が掛かり長期の治療。何とか回復し、足は残す事ができたのだが。。。」という事態に。

 だが、12月には「感染症が足から指先に転移 最初は小さな傷口だった。そして。。。指先に壊死が見られる。その結果指先を2本切断」。今年の1月には「心臓弁膜症の発覚 血流の悪さに懸念が増える。動脈硬化が激しく回復がままならない。糖尿病による影響は恐ろしい。これ以上感染を広げない為に洗浄の繰り返し。毎回激痛が走る。今日まで右手の機能を残す為に治療を続ける」とした。

 その結果、5月1日には「感染症が進み明日右腕を切断する事に」と告白。「56歳 最初の出来事が右腕を失う事。涙は出なかった。もちろんショックはあるけれど何とか機能を残そうとしたけど。。。ままならない。受け入れることなんて出来ないけど生きる為には乗り越えないとな。思い入れはたくさんある。思い出も語り尽きない。一緒に戦ってくれた右腕 感動を分かち合った右腕 明日、お別れする」と吐露。

 「ごめんなさい。この言葉しか浮かばない。その後どうなるんだろう。不安がよぎる。出来なくなったことはいくつあるのだろう。この治療が終わってもまだ終わりではない。心臓弁膜症の手術もしないといけない。感染症も5年生存率と言われ再発のリスクもある。改めて健康第一と考えさせられる。正直、死ぬ事は想像できない。まだ、やらないといけない事もたくさんある。悲劇のヒロインでもない。みんなと笑顔で会う為に」と記した。

 最後に「56歳になりました。誕生日おめでとう。苦難の先には幸せがある。それを有難いという。ありがとう。失われた右腕これも長い人生の一つ。そう思いたい。元来ただの強がり。ならば命ある限り強がって生きる。やる事はまだまだたくさんある。目一杯抗いでやる。56歳を迎えた右腕のないハゲたおっさんですがどうかよろしくお願いします。皆さんもどうか健康第一で!みんなかがや毛~!ワシ、野球選手やったんやで!!!」とつづった。

 佐野氏は90年ドラフト3位で近鉄に入団、近鉄、中日、オリックスで活躍し353試合に登板、41勝31敗27セーブ、防御率3.72。近鉄時代には93年から5年連続40試合以上に登板し、中継ぎ投手として「1億円プレーヤー」となった。この日のブログでも、「引退してからも右腕に注射の針は入れない」と利き腕である右手を大事に過ごしていたことを明かしていた。

 また、佐野氏は薄くなった頭髪を反対に「ピッカリ投法」などと売りにする明るい性格の持ち主。プロ野球OB戦「ドリームマッチ」などでは、同じく頭髪の薄い小田幸平、和田一浩らと帽子を飛ばして乱闘する「ピッカリ劇場」がお約束で、ファンからの人気も抜群だった。

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