日本ハム初代オーナー大社義規氏の命日に勝利 エスコンに息づく大社氏の魂

[ 2024年4月29日 08:35 ]

27日の練習前、大社初代球団オーナーの命日に感謝の黙祷を捧げる新庄監督と選手ら(撮影・高橋 茂夫)
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 偉大な先人に敬意を払い、今を生きることは大事だ。日本ハムにとって、その一人が初代球団オーナーで本社創業者の故大社義規氏(享年90)。命日だった27日は新庄監督の発案で試合前に選手、スタッフ、球団幹部も含めてグラウンドで約30秒の黙祷を捧げた。

 同日に行われたオリックス戦では伊藤が6回1安打無失点と好投するなど快勝し、天国の大社氏に白星をささげた。新庄監督も「大社さんがファイターズを作ってくれてなかったら大好きな野球で仕事ができないし、野球でメシが食えていない」と感謝の思いを口にした。

 04年にメジャーから日本球界に復帰して日本ハム入り。当時は車椅子生活だった大社氏に直接会い「日本一取れよ。日本一になる姿を見せてくれ」と言われた。「“必ず約束は果たします”という会話をした後に亡くなりましたね。野球少年のような目でアドバイスを頂いた」と回顧。05年に大社氏が逝去したが、06年にチームを日本一まで導いて約束を果たし、自身は同年限りで現役を退いた。

 大社氏の魂は昨季に開業したエスコンフィールドにも息づいている。中堅フェンス後方には大社氏と歴代ユニホームを着た子供達が戯れる姿を描いた壁画がある。同氏が着用していた永久欠番の背番号「100」にちなんで「Okoso100」とも記されている。実は同球場はこの壁画を起点に、座席が1区画ごとに101~432と番号がふられている。一塁側の選手ロッカーなどがあるホームチームエリアにも、主に応接間として使用される「大社ルーム」が存在する。大社氏の背番号100のユニホームや生前の写真が飾られ、今もチームを見守っている。

 生前は野球とファイターズを愛したと、関係者から頻繁に聞く。後楽園球場が本拠地だった時代は、今のように手軽な通信手段がなく、社員を球場に行かせてこまめに状況を報告させていたのは関係者の中では有名な話だという。パ・リーグの人気振興にも寄与したことで、09年には野球殿堂入りも果たした。

 当時の日拓ホームフライヤーズを買収し、日本ハムファイターズとしてプロ野球に参入したのが74年で、今年で球団創設50周年。節目の年に、チームは2年連続最下位から巻き返しを狙う。生前の大社氏が常々、口にしていたという言葉が「ファイトがあれば、なんでもできる」。ファイターズが、強く生まれ変わろうとしている。(記者コラム・田中 健人)

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