【内田雅也の追球】後ろには進まない

[ 2023年11月5日 08:00 ]

SMBC日本シリーズ2023第6戦   阪神1ー5オリックス ( 2023年11月4日    京セラD )

<オ・神>4回、坂本のセーフティースクイズはファウルに(撮影・岸 良祐)
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 映画監督アキ・カウリスマキに「敗者3部作」と呼ばれる作品がある。その一つ『過去のない男』で、不運続きの男は暴行を受け記憶をなくしてしまう。助けた主人がビールをおごりながら言う。「大丈夫だ。人生は後ろには進まん」

 人生に似る野球もまた同じだ。前を向きたい。

 日本一に王手をかけて迎えた一戦。阪神は2回表に今シリーズ初の本塁打で先制した。監督・岡田彰布は「その後やな」と口にした。何も悔いているのではない。

 2回表は先制後、なお1死一、三塁。4回表も1死一、三塁。「あと一打」が出なかった。

 2回表は2死一、三塁となってから坂本誠志郎が意表を突く形で初球セーフティーバントを試みたがファウル。4回表も1死一、三塁で坂本がまたも初球にセーフティースクイズを試みたがファウルとなった。前に、一塁側に転がっていれば……と思い見ていた。バントも1本ファウルになると相手に警戒される。初球の成否が勝負の分かれ目だったのか。いや、山本由伸の投球はバントすら難しかったか。

 「いまさら言うてもしゃあないやん」と岡田は言った。悔やんでいても仕方ない。振り返りも反省も意味がない。本当にもう最後なのだ。

 3勝3敗。6試合の総得点も23―23。きょう5日の第7戦は決着をつける大勝負になる。

 阪神は過去に2003年、1964年と日本シリーズで先に王手をかけながら第6、7戦を連敗している。三度目の正直に挑んでいるわけだ。

 短期決戦のシリーズも実感としては長い。七十二候でみれば、霜始降(しもはじめてふる)で開幕し、霎時施(こさめときどきふる)を越え、いまは楓蔦黄(もみじつたきばむ)と季節を3つ数えた。西宮市の高台にある岡田の自宅周辺の木々も色づいていた。

 トマス・ボスウェルの『人生はワールド・シリーズ』に現役引退から数年後、臨時コーチで復帰した伝説の左腕サンディ・コーファックスの言葉がある。「心底ホッとしてるよ。野球は何一つ変わっちゃいない。この世界では、全精力を傾けない限り何も得られない」

 そう、全精力を傾けるのだ。少年時代、誰もがあこがれた日本シリーズ第7戦を戦える幸せをかみしめたい。冒頭に書いた不運な男も前を向き、最後は幸運が訪れる。野球もまた後ろには進まない。 =敬称略= (編集委員)

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