【内田雅也の追球】再び巡りきた青春

[ 2023年10月31日 08:00 ]

大学最後の早慶戦を終え、涙する岡田の写真をあしらった1979年10月30日付のスポニチ(東京本社発行版)1面
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 甲子園球場での阪神練習をバックネット裏で見ていた。一塁ベンチに腰かけた岡田監督が何度かこちらに視線を送り、苦笑いしていた。

 何だろう? 答えは練習後、一塁側アルプススタンドでの会見(と言うか雑談)でわかった。

 「慶応、勝ったらしいで。5―3でな」

 なるほど、だから、苦笑いをよこしてしたのか。慶大出の私とはよく早慶の話になる。

 勝った方が優勝の早慶戦だった。事前に「小宮山(早大監督)から“絶対優勝します”とメールが来ていたけどなあ」と苦い表情になった。

 「今年は慶応の年ですよ」と返した。「え!?」と顔色が変わった。早大出の自身は日本シリーズという決戦場にいる。縁起でもないことを言ったかと焦ったが「あ、そうか。高校野球も(慶応が)優勝しとったな」と意味を理解してくれた。

 あとで「早稲田の勝ち運は岡田さんが持っていってますよ」とLINEを送っておいた。

 岡田監督との酒席で今も一番の話題は早大時代の思い出話だ。青春だった。早慶戦では連日、神宮球場の周りに入場券を求める徹夜組が出た。早大応援席では「煙幕作戦」と称して、一斉にたばこの煙をふかしていた。優勝後のちょうちん行列から戻ると、ユニホームにいくつも口紅がついていた……と懐かしむ。

 自身は早大4年秋、最後の早慶戦で20号本塁打を放ち、今も記録の通算最高打率3割7分9厘を残した。「都の西北」が流れ、涙する写真が1979(昭和54)年10月30日付のスポニチ(東京本社発行版)1面にある。44年前のちょうど、この日。大学生活に別れを告げる試合に「寂しいですね」と話していた。

 それにしても、日本シリーズの決戦場にいるなか、早慶戦に思いをはせるとは、何ともリラックスしているではないか。

 ベンチに座り、嶌村聡球団本部長と「なんか、オープン戦が終わって、春の開幕を迎える時みたいやなあ……と話しとったんよ」。緊張とも重圧とも無縁だった。

 「まあ、明日になればまた違ってくるんやろうけど」と、超満員の甲子園に思いをはせる。自身が超満員の神宮で躍動した当時を思い返す。あの震えるような舞台で、勝負ができる幸せをかみしめている。65歳の指揮官は再びの青春の最中にいた。 (編集委員)

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