巨人・原監督「慎之助君にチームを託そうと決断」今後はオーナー付特別顧問に就任

[ 2023年10月5日 05:30 ]

セ・リーグ   巨人1―0DeNA ( 2023年10月4日    東京D )

<巨・D>退任する原監督は贈られた花束を掲げる(撮影・西川祐介)
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 今季限りで辞任する巨人の原辰徳監督(65)が4日、今季最終戦のDeNA戦(東京ドーム)を1―0の勝利に導いた。巨人監督歴代最多の白星を1291勝に伸ばし、同歴代最長17シーズン目を終えた。今季は2年連続の4位で、同一監督での2年連続Bクラスは球団初の屈辱。来季が3年契約の最終年だったが、責任を取り辞任の意向を伝え受諾された。今後はオーナー付特別顧問に就任する。後任には阿部慎之助ヘッド兼バッテリーコーチ(44)が昇格する。

 ハンカチで目頭を押さえる。目を充血させて勝負の鬼が泣いた。報道陣の前で「一言ではね…」と原監督の言葉が詰まる。「うん、いや、語れないね」。3年契約2年目での辞任。本音は悔しい。

 「辞任します。そして若い新しいリーダー、阿部慎之助君にチームを託そうと決断しました」。直前のセレモニーでファンに別れを告げ、晴れ晴れとした表情だった。だが舞台裏に下がると違った。

 名門の監督として通算17年間で9度のリーグ優勝、3度の日本一と輝かしい戦績を残してきた。「勝利と育成」が求められる名門球団の指揮官。責任は重い。同一監督では巨人史上初めての2年連続Bクラスが決まった9月29日。山口寿一オーナーとの話し合いで辞任の意向を伝え受諾された。その席で後任に阿部ヘッド兼バッテリーコーチを指名した。

 01年のペナント最終盤。当時の原ヘッドコーチは監督室で、直立不動で待ち構えた長嶋茂雄監督から「おめでとう!来年から原監督だ」と右手を差し出され、通算17年間の監督生活が始まった。3年間のコーチ生活で帝王学を叩き込まれ、満を持しての昇格ではあったが、「足がガタガタ震えた」と鮮明に覚えている。山口オーナーとの会談翌日、自身も監督室で阿部ヘッドコーチに「頑張れよ」とバトンを託した。くしくも、禅譲を決断したのは長嶋監督と同じ65歳。「選手15年、コーチ3年、監督17年、35年戦い抜きました」と振り返った。

 選手を「悔しさをユニホームに染み付けて戦ってもらいたい」と叱咤(しった)した一方で「楽しみな選手はできつつある」と若い力に期待した。新エース戸郷が2年連続12勝を挙げ、山崎伊も先発の一角として一本立ちした。野手では高卒3年目の秋広がブレーク。「ポスト坂本」の遊撃には新人の門脇が収まった。この日は初めて私情で「今日は頼む。とにかく勝って」と選手を送り出し、勝利。「いつも頼んどきゃ良かった」と笑った。

 95年10月8日の引退試合では「私の夢には続きがあります」とスピーチした。この日侍ジャパンは井端弘和新監督が誕生したが、任期は来年11月のプレミア12までが前提と発表された。26年春のWBC指揮官は白紙。09年のWBCでは連覇に導いた世界一監督が再び世界を相手に夢の続きを見る可能性はある。

 今後はオーナー付特別顧問に就任する。「少しゆっくりと自分のことを考えながら生きられたらいいなと。一点の曇りもなく晴れ晴れとした気持ち」。戦いからは離れるため「そのうち飽きるでしょ」とも笑わせた。若大将らしく爽やかに巨人軍監督に別れを告げた。(神田 佑)

 ◇原 辰徳(はら・たつのり)1958年(昭33)7月22日生まれ、神奈川県出身の65歳。東海大相模では甲子園に春夏4度出場。東海大を経て80年ドラフト1位で巨人に入団。81年に新人王、83年にMVP、打点王に輝いた。95年に現役引退。通算1675安打で打率・279、382本塁打、1093打点。巨人監督を02年から計3度、17年間務め、リーグ優勝9度、日本一3度。09年のWBCでは侍ジャパンの監督として世界一に輝いた。18年に野球殿堂入り。

 ▽現役時代の原監督 東海大から80年ドラフト1位で巨人入団。81年4月4日の開幕戦に「6番・二塁」で先発出場し、シーズン途中に三塁へコンバートされると打率.268、22本塁打、67打点で新人王。背番号8にちなみ「エイトマン」「若大将」とファンに愛された。92年まで12年連続20本塁打以上し、巨人の4番を長く務めた。86年に左手有鉤(ゆうこう)骨を骨折し、選手生活終盤はアキレス腱痛にも悩まされた。89年に左翼、92年には一塁へのコンバートも経験。95年限りで現役引退し、セレモニーでは「今日、私の夢が終わります。しかし、私の夢には続きがあります」とスピーチし、将来の監督就任への思いを示唆した。

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