【巨人・松田引退会見一問一答(1)】最後にジャイアンツのユニホームを着て…本当によかった

[ 2023年9月28日 20:15 ]

引退会見をする松田(撮影・西尾大助)
Photo By スポニチ

 巨人の松田宣浩内野手(40)が28日、都内のホテルで会見を開き、今季限りでの引退を発表。18年間の現役生活を振り返った。

 「本日はお忙しい中、たくさんの方にお集まりいただき、ありがとうございます。また、このような素晴らしい引退会見を用意して頂いた、読売ジャイアンツ、球団関係者のみなさま、本当にありがとうございます。私、松田宣浩、今シーズンでユニホームを脱ぎます。現役を引退することを決断いたしましたのでここに報告させていただきます。読売ジャイアンツ1年、福岡ソフトバンクホークス17年、18年間のプロ野球生活は私にとって夢のような時間でした。本当に野球が大好きでした。18年間、たくさんの方と出会い、たくさんの方に支えられ、ここまで野球をすることができました。本当にありがとうございました」

 ――最初に引退を決断した理由とタイミングは。

 「約1年前に原監督さん、球団関係者の皆さんのご縁でこうして読売ジャイアンツの一員になれることができました。そこで原監督から“ムードメーカーではなく戦力として考えている”という…、戦力として考えていただけてるという温かい言葉を頂いて、ジャイアンツに飛び込んできました。その中でとにかくジャイアンツのために一生懸命やる。ただそれだけでした。そのために何ができるかと考えてやってきました。その中で1軍でプレーしても結果っていうのは出すことができなかったというのは正直な思いです。その中で、2回目の2軍降格になった、その夜に、まずは妻にそろそろ引退の時期かなという思いを打ち明けました。正式に思いを伝えたのは、横浜3連戦の最終戦終わった後に原監督さんに自分からお時間をいただき、そこで最初に引退させていただきますとご報告させていただきました」

 ――原監督からは

 「18年間、よくやってくれた、という温かい言葉を頂いて、本当にね、結果として出せなかったので、読売ジャイアンツ、原監督さんに対して申し訳ない気持ちで今はいっぱいです」

 ――巨人の1年間は。

 「この1年、ジャイアンツの皆さんには自分の2つの思い、考えをかなえて頂きました。まず一つはプロ野球に入った頃から数字よりも40歳までプレーしたいという思いを掲げてプレーしてきて、昨年途切れるかという時に、最後チャンスを頂いたのもジャイアンツですし、40歳までプレーするというチャンスを与えていただいたのはジャイアンツなので、そこに本当に感謝の気持ちでいっぱいです。自分もプロ野球選手だったんですが、当然、野球少年の時に応援していた球団、ファンというのは必ずあったと思います。自分は家族もみんなジャイアンツファンでした。食事を済ませ、宿題を終わらせ、野球の練習を終わらせ、家族みんなでジャイアンツの応援をテレビの前でしていました。それぐらいジャイアンツが好きだったので、だから最後にこういう…、ジャイアンツのユニホームを着て、野球生活を終えるということは本当によかったと思います。

 ――ソフトバンクでは17年間。

 「17年という期間をホークスでプレーさせていただいて、いいことも悪いことも経験して、プロ野球の世界で数字を出すことができたと思いますし、福岡ソフトバンクホークスで17年間やってこなかったら、最後こうやってジャイアンツでもできなかったので、両球団には本当に感謝の気持ちでいっぱいです」

 ―――印象的な出来事は。

 「まずは18年間、現役生活を終えてみて、一番の打席は福岡ソフトバンクホークス時代の2014年のシーズン最終戦のサヨナラヒット。勝った方が優勝という大事な試合で、チームのために打てた、あのサヨナラヒットはこの18年間の中で一番の当たりでした。今でも左中間へ飛んでいく当たりだったりとかバットの感触というのは忘れることができません。ジャイアンツに来てからは思うような結果を出すことができなかったので、一番の忘れない出来事でいうと、開幕戦で打席に立たせてもらい、コールしてもらった時にライト側のジャイアンツファンのみなさんから凄い歓声を頂いたことです。ようやくジャイアンツの一員になれたとほっとしましたし、あの歓声は二度と忘れらることはできないなと思います」

 ――ファンへ。

 「ファンの皆さんあってのプロ野球選手だと思いますし。そういった意味では自分も18年間、若い時から今日までファンの皆さんの声援や支えでやってくることができましたた。その中でファンの皆さんの支えは大きかったかなと思います」

続きを表示

この記事のフォト

「始球式」特集記事

「落合博満」特集記事

2023年9月28日のニュース