【阪神V目前企画 あの感動を再び】列島が猛虎フィーバーに沸いた 打って打って打ちまくった1985年

[ 2023年9月13日 16:20 ]

1985年、神宮で21年ぶりの優勝を決め、マウンド付近で喜ぶ阪神ナイン(左から)川藤幸三、奥が掛布雅之、右は岡田彰布現監督
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 打って、打って、阪神は打ちまくった。1985年10月16日、神宮球場は異様なムードに包まれた。開幕から125試合目。マジックは1。あとは21年ぶりの歓喜の瞬間を待つだけ。敵地のスタンドは黄色い波に支配され、大阪も西宮も神戸も試合前からカウントダウンに酔いしれていた。道頓堀も群衆で埋めつくされた。阪神の快進撃は社会現象だった。

 ヤクルトに2点をリードされた阪神は9回、先頭の掛布雅之が39号ソロを放ち、1点差に追い上げると、ベンチとスタンドを一気にヒートアップさせた。続く岡田彰布が中二塁打、北村照文がバントで送り、佐野仙好の中犠飛で同点に追いついた。舞台裏も慌ただしかった。広報など球団関係者がベンチとプレスルームを何度も往復した。ネットなどない時代。「引き分けでも優勝なのか」「延長は何回までか」。ケン騒の中で確認作業が続いていた。

 中西清起が9回から登板、このまま同点でも延長10回で引き分けで優勝確定。こうなると「あと1球」コールも聞こえない。最後の打者・角富士夫の投ゴロは中西から守備固めの渡真利克則に転送され、5―5で試合は終了。ベンチからは川藤幸三が一番乗りで飛び出す。吉田義男監督の胴上げが始まった。『涙が出ました。なによりも、この大勢のファンが私たちを盛り上げてくれました。残り10試合になってから苦しかった。でも、ウチのキャッチフレーズであるフォア・ザ・チームの勝利。全員が一丸となってくれました」と指揮官は万感の思いで優勝インタビューに臨んだ。

 2度目の監督就任だった。バース、掛布、岡田の強力クリーンアップを中心に、バックスクリーン3連発に代表される攻撃力を前面に押し出しながらも、名遊撃手として活躍した自身の野球観も反映させ、岡田二塁転向でセンターラインを強化、当時の最多記録のシーズン犠打141を記録する細かい野球にも取り組んだ。先発陣には完投能力が欠けていた分、のちの「JFK」に匹敵する福間納、山本和行、そして中西の勝ちパターンの継投を整備した。夏場に失速し、首位を明け渡した時期もあったが、「徹」を色紙に記しながら「土台作り」「挑戦者」「一蓮托生」の言葉を胴上げの瞬間まで唱え続けた。開幕前に掛布と岡田を西宮市の料亭に招き「あんたら2人に引っ張ってもらわなあかん」と勝利への意識を促したことも後日談として残る。

 打率・350、54本塁打、134打点で3冠王に輝いたバースは「とてもエキサイティングな夜になった。みんなが力を出し合ったのが優勝に結びついたんだ」とビールかけで大暴れすれば、4番で3割、40本塁打、108打点の掛布は「ボクの野球人生の中で、この試合は生涯忘れられないものになる」と目を赤くした。打率・342、35本塁打、101打点の岡田も「選手会長として、首脳陣と選手のパイプ役に徹することができたと思う」と言い切った。チーム219本塁打。破壊力とともに勝負強かった打線だった。

 戦前は「勝ち方を知っている」と広岡達朗監督率いる西武有利の声もあった日本シリーズでも、猛虎は底力を見せつけた。第1戦、2戦とバースの2試合連続アーチがポイントで飛び出し連勝すると、2勝2敗で迎えた第5戦は4回1死満塁のピンチを福間が遊ゴロ併殺でしのぐと、長崎啓二の本塁打、バースの適時打などでリードを広げ、王手。第6戦は初回に長崎の満塁弾で先制、2回に真弓明信が本塁打すると、9回は掛布がダメ押し本塁打。最後も本塁打攻勢で西武を突き放した。所沢での日本一の舞い。阪神の悲願達成の瞬間だった。3本塁打、9打点でバースが日本シリーズでもMVPに輝いた。強い阪神だった。

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