【落合×赤ヘル対談】浩二氏「時代が悪かったよ…」 落合氏と語る年俸論…今がうらやましい?

[ 2023年8月11日 17:25 ]

収録に臨む落合博満氏(左)と山本浩二氏(撮影・沢田明徳)
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 現役時代に3冠王を3度獲得し、監督としては中日を4度のリーグ優勝に導いた落合博満氏(69)が11日、自身のYouTube「落合博満のオレ流チャンネル」を更新。「博満の部屋」の第3回目として、プロ野球歴代4位の通算536本塁打を放ち、“ミスター赤ヘル”と称された山本浩二氏(76)をゲストに招いて対談を行った。

 浩二氏は地元の広島県立廿日市高から法大に進学。投手から2年春に外野手転向を松永怜一監督に言い渡され、富田勝氏とともに徹底的に鍛えられた。2年秋から先発出場が増え、3年からレギュラーに定着。田淵幸一氏、富田氏とともに「法政三羽ガラス」と称され、3人は68年のドラフト会議で1位指名を受けた。浩二氏は広島、田淵氏は阪神、富田氏は南海から1位指名された。

 落合氏から「契約金は現金でした?振込でした?」と聞かれると、お金の話題となった。「あの当時は最高、契約金1000万、年俸180万。一番わりに合わない時やった」と浩二氏。1965年のドラフト制導入前は自由競争で契約金が高騰、64年オフの山崎裕之(上尾→ロッテ)、池永正明(下関商→西鉄)、菱川章(倉敷工→中日)の契約金が5000万円まで上がり、ドラフト制導入のきっかけとなった。1978年ドラフト3位でロッテに入団した落合氏は「オレの時は最高額は3000万だった」と明かした。

 山本浩二氏は85、86年に年俸8500万円まで上がった。落合氏も1987年の年俸が1億3000万円で、プロ野球界初の1億円プレーヤーとなった。「でも、(1975年の広島の)初優勝で結構、球界全体の年俸が上がった。ワシが最初で次はお前。全体が上がっていった。巨人のV9が続いていたら、全体は抑えられていた。結構、貢献者なんよ、ワシらは」と浩二氏は語った。

 さらに「今だったら…」という話題に。落合氏は3度の3冠王、浩二氏も首位打者1回、本塁打王4回、打点王3回など、2人は数々のタイトルを獲得した。落合氏は「(今だったら)10億いってますよ。今はタイトル1個とっただけですぐに1億行く時代ですから」と語ると、2人は「うらやましい」と声をそろえた。浩二氏は最後に「時代が悪かったよ!」と声を張り上げていた。

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