【PL学園休部までの経過】暴力事件発覚、野球部員の受け入れ停止、17年に大阪府高野連に対して脱退届

[ 2023年8月6日 03:01 ]

85年の第67回全国高校野球選手権大会最終日に、宇部商に、4対3で9回サヨナラ勝ちしたPL学園の桑田真澄投手(右2人目)と清原和博内野手が号泣して抱き合って喜ぶ
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 春夏の甲子園大会で計7度の優勝を誇るPL学園野球部が復活へ動き出したことが5日、分かった。1年生の1人が入部を許可され、既に練習を開始。来春以降は入部希望者の新入生を受け入れる方向で、さらに部員が増える可能性がある。15年度から新入部員の募集を停止し、16年夏の大阪大会が最後の公式戦。17年春に大阪府高野連を脱退していた。

【PL学園休部までの経過】
 ▽13年3月3日 2月に部内で複数の上級生による下級生への暴力事件が発覚し、春季大阪大会の出場辞退。その後、6カ月間の対外試合禁止処分を受け、夏の大阪大会出場は不可能に。河野有道監督は退任。
 ▽同9月1日 後任監督が決まらず、野球経験のない正井一真校長が指揮を執り、秋季大阪大会初戦で勝利。準優勝し近畿大会出場も初戦で福知山成美に敗戦。
 ▽14年10月11日 15年4月に入学する野球部員の受け入れ停止が判明。
 ▽15年4月18日 正井校長の後任・草野裕樹校長が指揮を執り春季大阪大会8強入り。夏の大阪大会も準々決勝で敗退。
 ▽15年5月 16年度の新入部員受け入れ停止が判明。
 ▽16年2月16日 剣道部出身の川上祐一氏が新監督に就任。
 ▽同4月16日 春季大阪大会は初戦の2回戦で太成学院大高に2―9の8回コールド負け。
 ▽16年7月15日 3年生部員12人(ベンチ入り11人、記録員1人)だけで臨んだ大阪大会初戦(2回戦)で東大阪大柏原に6―7で逆転負け。
 ▽17年3月29日 大阪府高野連に対して脱退届が提出され、同連盟が受理したと発表。

 ▽PL学園硬式野球部 1956年4月創部。62年選抜に甲子園初出場して8強入り。78年夏に初優勝を飾った。81、82年選抜を連覇し桑田真澄、清原和博が在籍した83年夏からは5季連続で甲子園に出場し2度の優勝、2度の準優勝と黄金時代を築いた。87年には立浪和義らの活躍で史上4校目の春夏連覇。98年夏の準々決勝では横浜と延長17回に及ぶ名勝負を繰り広げた。甲子園春夏通算で37度出場し歴代3位の96勝(30敗)、優勝7回(春3、夏4)を誇る。

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