【独占手記】200S達成ロッテ・益田「どの試合も誰かの何かを背負っている」伊東監督に怒られ気がついた

[ 2023年6月17日 05:30 ]

交流戦   ロッテ5―2DeNA ( 2023年6月16日    横浜 )

<D・ロ>9回を締めた益田(右)は田村と抱き合う(撮影・島崎忠彦)
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 ロッテの益田直也投手(33)が16日、DeNA戦の9回に登板し1回無安打無失点に抑え、NPB史上10人目となる通算200セーブを達成した。12年の入団からロッテ、救援一筋で金字塔を打ち立てた右腕はスポニチ本紙に独占手記を寄せた。

 敵地での記録達成でしたが、ロッテファンだけでなく、DeNAファンからも拍手を頂いて、うれしいですし、頑張ってきて良かったなと思いました。200セーブがゴールではないので、長かったなとか、早かったなとか、感傷的になることはないですけど、偉大な人たちの名前が並ぶ記録に自分が到達できたことは誇りに思います。支えてくれた家族、チャンスをくれた球団や監督、コーチ、先輩や後輩、スタッフ、そしてファンの方々…自分に関わってくださった全ての方々に感謝したいです。

 プロ生活をスタートさせた12年に新人王となり、13年にはセーブ王のタイトルも手にしましたが、正直、あまり数字は考えていませんでした。それが少し変わったのは14年6月の広島戦、3点リードの7回に登板して逆転満塁弾を打たれて敗戦投手になったことでした。僕としては「仕方ないこと」という感じでしたが、当時の伊東監督に怒られました。「お前がどんな気持ちで投げてたか分からないけど、木村(優太投手)のプロ初勝利が懸かっていたんだぞ」と。僕自身、必死にやっていたけれど、そういうことも少し意識していれば、結果は違ったのかなと。経験を積み、立場も変わった今は責任感というか、「どの試合も誰かの何かを背負っている」ということを意識して投げています。だから、抑えた試合よりも、打たれて負けた試合の方が強く記憶に残っています。

 打たれた日はすぐ帰宅せずに、気持ちを整理してから帰ります。それでも家で機嫌良くはできない。僕はそういう起伏が激しいので、妻は大変だったろうなと思います。子供たちも僕が打たれると泣いたりすることもあったみたいだし。妻がうまく対処してくれて、苦労かけました。もちろん産んでくれた母にも感謝してますけど、プロに入ってから一番の支えは家族。本当に感謝しかないです。

 今はチームの雰囲気も良いですし、僕一人の力ではなく、みんなの勝ちたいという思いが今季の成績につながっていると思います。個人の成績よりチームが何とか上位にいられるように、そして吉井監督を胴上げできるように、みんな一つになって頑張っていけたらと思っています。(千葉ロッテマリーンズ投手)

 ≪「少し緊張した」代打3人斬り≫3点リードの9回に登板した益田は京田を見逃し三振、森を三邪飛、戸柱を中飛と代打3人を打ち取り、デビューから672試合で大記録に到達。高校では補欠の内野手で、投手に転向した関西国際大でも全国的には無名だった。「今日は少し緊張した。3点あったので先頭への四球とか、いらんことをやらないことだけ心掛けた」と振り返った。

 ≪中継ぎでは161ホールド≫益田(ロ)がDeNA戦で今季18セーブ目を挙げ、通算200セーブを達成した。プロ野球10人目、チームでは小林雅英に次ぎ2人目。初セーブは12年8月5日のオリックス戦。33歳7カ月は4番目の年長達成となり、通算672試合目は平野佳(オ)の618試合を抜く最も遅い到達ペースになった。ただし、益田は抑えだけでなく中継ぎも多く務めたための結果で、通算200セーブ以上の投手では藤川球児(神)の163ホールドに次ぐ161ホールドを挙げている。

 ◇益田 直也(ますだ・なおや)1989年(平元)10月25日生まれ、和歌山県出身の33歳。市和歌山商から関西国際大を経て、11年ドラフト4位でロッテに入団。1年目の12年に72試合に登板し、2勝2敗41ホールド1セーブ、防御率1・67で新人最多登板、同最多ホールド記録を更新し、平成生まれ初の新人王となった。13、21年に最多セーブのタイトル獲得。1メートル78、80キロ。右投げ右打ち。

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