樋口黎 万感の金メダル「一緒に五輪に」文田と交わした誓い 東京ではなくパリで12年越しW頂点

[ 2024年8月10日 03:15 ]

パリ五輪第15日 レスリング ( 2024年8月9日    シャンドマルス・アリーナ )

<パリ五輪 レスリング>男子57キロ級決勝、金メダルを獲得する樋口黎(撮影・平嶋 理子)
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 男子フリースタイル57キロ級の樋口黎(28=ミキハウス)が9日、決勝でスペンサーリチャード・リー(米国)を4―2で下し、悲願の金メダルを獲得。樋口にとっては銀メダルだった16年リオ大会のリベンジとなった。21年東京落選の悔しさを糧にたどり着いた2度目の五輪。減量の苦しみも乗り越え、ついに頂点に立った。

 前日8日に不戦勝から始まった闘い。そこから2戦連続テクニカルスペリオリティー勝ちと圧倒的な内容で勝ち上がってきた。準決終了後は減量を優先し、試合後のインタビューはなし。圧勝の試合内容からは想像もできない厳しい減量を経て決勝のマットに立った樋口が、8年前の忘れ物を取り返した。

 パワーが上回る相手に第1ピリオドは0―2の展開。しかし、第2ピリオド開始1分で片足タックルからバックを取り2―2と“逆転”した。このままいけばラストポイントで優勝。相手の圧力をうまく防御し耐えに耐えた。最後は逆に2ポイントを奪い決着。悲願の金メダル獲得が決まった瞬間だった。

 不屈の精神で、2大会ぶりに五輪へ戻ってきた。日体大3年で迎えた16年リオデジャネイロ五輪では、次々に強豪を破る快進撃で銀メダルを獲得。東京五輪では本命候補に挙がったが、1つ上の65キロ級での代表を逃し、リオと同じ57キロ級での再挑戦に懸けたが、21年4月のアジア予選で計量失格。その後のプレーオフで敗れ、出場を逃した。

 それまでも数回失敗した計量を克服しようと、その後は独学や専門家からの学びを重ね、トレーニングや食事にも人一倍気を使ってきた。23年には元レスリング選手の優貴さんと結婚したが、食事作りは樋口の担当。低脂肪、低糖質の献立を実践し、試合日まで遠い普段の食事から徹底して自己管理。代わりに気を紛らすためのゲームはある程度自由にプレーさせてもらうなど、愛妻の理解もあって9年越しの五輪にたどり着いた。

 男子グレコローマンスタイル60キロ級の文田健一郎は日体大の同期で、今も各々のスタイルで練習を行う間柄。東京五輪の開催が決定した13年秋、AO入試の前日に同じホテルに泊まり、一緒に東京五輪に出ようと誓った。樋口はリオ、文田は東京大会に出て、それぞれ銀メダル止まり。約束の地はパリとなったが、初めて一緒に出る五輪で、同期で刺激し合いながら表彰台へ駆け上がった。

 ◇樋口 黎(ひぐち・れい)1996年(平8)1月28日生まれ、大阪府出身の28歳。茨城・霞ケ浦高、日体大卒。日体大助手を経て21年からミキハウス所属。吹田市民レスリング教室で4歳から開始。高校時代はインターハイ2連覇、国体2連覇を達成し、15年に全日本選手権を初制覇。16年リオデジャネイロ五輪は銀メダル。21年東京五輪はアジア予選で計量失格。その後、世界最終予選で出場枠を獲得したものの、国内プレーオフで敗れ2大会連続出場を逃した。22年世界選手権では非五輪階級の61キロ級で初の世界一。家族は妻と1女。

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