19年前に急逝ツイドラキさんの息子が誓う恩返しのトライ―残された家族に日本全国から集まった寄付金

[ 2021年9月14日 05:30 ]

ムロオ関西大学ラグビーAリーグ開幕直前連載

大学ラストシーズンに挑む摂南大のバリアミ・ツイドラキ(写真は昨年のリーグ戦)

 ムロオ関西大学ラグビーAリーグが18日の同大―関大戦で開幕する。東京五輪のスケートボードで話題になった「ゴン攻め」のごとく、ガンガン攻める8チームの横顔を4回にわたって紹介する。第1回は、昨季6位の摂南大。4年のFBバリアミ・ツイドラキ(24)は、偉大な亡き父がもたらした日本との温かいつながりを胸に、大学ラストシーズンに挑む。

 摂南大のツイドラキは、大学進学で日本に来て、父の偉大さに触れる機会が増えた。

 「いろんなところでお父さんのファンという方を聞きます。亡くなって今年で19年。そんなに時間がたつのに、父の新しい話を聞いたりすることがあって、ビックリします」

 勤勉な人柄と、生まれてから5年間、愛知県豊田市で暮らしたこともあって日本語は達者。卒業論文は「日本とフィジーの法律の比較」と照れくさそうに笑う。その優しい顔は「パット」の愛称で親しまれた父譲りだ。

 パティリアイ・ツイドラキさんは02年9月に急性心不全のため、33歳の若さで亡くなった。フィジー代表のスピード豊かな名バックスは、トヨタ自動車初の外国選手として来日し、8年間チームを支えた。日本代表で99年W杯にも出場。引退して母国に戻った直後、帰らぬ人になった。

 愛きょうと慈愛に満ちた選手だった。故郷への寄付、募金を欠かさなかった。自分を犠牲にしてまで周囲を助けた人の葬儀に、参列者は500人を超えた。「お父さんのお葬式は、すごい数でした」。誰もが「いいやつ」と口をそろえる選手だからこそ、訃報を受けた99年W杯日本代表の首脳陣がすぐに動いた。残された4人の子どものために「遺児育英基金」を創設した。話が、雑誌に取り上げられた。

 日本協会の元専務理事・坂本典幸さんは「ラグビー協会にも問い合わせが来ました」と振り返る。全国から約200万円が集まった。基金とは別に社内で55万円の寄付を集めたトヨタ自動車を通じて家族に渡された。

 ノーサイド精神による支えがあって、次男バリアミの今もある。最終学年の今季もバックスのエース。タックルを受けながらつなぐオフロードパスの名手で、ディフェンスも体を張る。父が着た日本代表のジャージーを夢見て、走り続ける。 (倉世古 洋平)

 ◇バリアミ・ツイドラキ 1997年1月9日生まれ、愛知県豊田市出身の24歳。父がトヨタ自動車に在籍したことで5歳まで日本に住む。02年にフィジーに移り、ナトゥナブラ高校で同国の全国大会4位。卒業後は7人制のクラブチームで活動しながら、15人制20歳以下のフィジー代表にも選ばれる。その活躍が評価され、摂南大法学部へ進学。将来の夢は日本代表。長兄のバティリアイはトヨタ自動車のCTB。1メートル85、101キロ。愛称は「ビリー」。

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