スポクラ・野中 満身創痍も熱いハートで銀メダル「諦めずに、全て乗り越えてきて良かった」

[ 2021年8月7日 05:30 ]

東京五輪第15日 スポーツクライミング女子複合決勝 ( 2021年8月6日    青海アーバンスポーツパーク )

女子複合決勝 スピードで対戦する野口啓代(左)と野中生萌
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 スポーツクライミングの女子複合決勝が行われ、野中生萌(みほう、24=XFLAG)が銀メダルを獲得した。3種目の順位をかけ算したポイントが少ない選手が上位となり、スピード3位、ボルダリング3位、リード5位で45ポイントだった。今大会で現役を引退する野口啓代(32=TEAM au)は64ポイントで銅メダル。ヤンヤ・ガルンブレト(22=スロベニア)が5ポイントで初代女王に輝いた。これで日本は東京五輪の追加5競技全てでメダルを獲得した。

 悲壮な覚悟が、野中の夢を現実に変える。「骨1本でも、2本でも、折れてもいい」。18年に左肩、19年に右肩を負傷。本来は手術が必要な重傷でも、東京五輪を見据えて保存治療を選択した。6月末には右膝を痛め、その後に右手首にも激痛が走った。満身創痍(そうい)の体を熱いハートが支えた銀メダル。背中を追い続けてきた野口とともに表彰台に立った。

 「啓代ちゃんと一緒にメダルを獲りたいとずっと思っていたので、本当にうれしい。まだ本当に獲った感じがしないけど、じっくり味わいたい」

 予選から中1日で故障が劇的に回復するはずがない。「ファイナルは痛みを無視した」。手首や膝に最も負担がかかる2種目目のボルダリング第3課題で、中間点のゾーンに最初のトライで到達したことで順位を上げた。最後のリードは、死力を尽くした。

 5年前、クライミングの実施が決まった時のことを、野中はこう振り返る。「なめてましたもん。五輪?へえ、それが何?って」。W杯や世界選手権が最高峰だったが、突然、新たな価値観が持ち込まれた。結果よりも楽しむことを重視していた野中は、メダル候補と注目されることに戸惑いを覚えた。だが、気づく。支えてくれる周囲への恩返しは、結果を出すことだと。

 複合5位だった19年世界選手権後、五輪代表の選考基準の解釈を巡り、国際連盟と日本協会が対立した。結果的に切符をつかんだが、結論が出るまでに1年以上、時間を要し「もういいかげんにしてほしい」とこぼすこともあれば、不安から涙を流したこともあった。

 「ここまでつらかった。頑張ってきて良かったって思う。諦めずに、全て乗り越えてきて良かった」。その言葉に、銀に輝く実感がこもった。

 ◇野中 生萌(のなか・みほう)1997年(平9)5月21日生まれ、東京都出身の24歳。ボルダリングは16年世界選手権で2位に入り、18年W杯で初の年間総合優勝を達成。今年5月のW杯のスピードで日本勢初の表彰台に立った。東京・日出高(現目黒日大高)出、XFLAG。1メートル62。

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