阿部一二三が金メダル 神港学園高での“8年間”「阿部シフト」呼んだ強化策が結実

[ 2021年7月25日 19:55 ]

五輪

<東京五輪柔道男子66キロ級決勝>鬼の形相で攻め込む阿部一二三(撮影・北條 貴史)
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 柔道男子66キロ級代表の阿部一二三(23=パーク24)が、決勝でマルグベラシビリ(ジョージア)に勝利し、五輪初出場で金メダルに輝いた。妹で、女子52キロ級の阿部詩に続く金メダルで、過去に例のない「夏季大会でのきょうだい金メダル」を達成した。

 6歳で柔道を始めた一二三が、担ぎ技で圧倒する柔道スタイルを築き上げたのが兵庫・神港学園高での“8年間”だった。長きに渡って指導した信川厚総監督(56)が、一二三との出会いや原点、「阿部シフト」と呼んだ強化策などを振り返った。

 小学生時代は体も小さく、女の子にも負けていた一二三が初めて神港学園で稽古をしたのは小5のころ。当時から近隣に住む少年少女の練習場所として道場を開放していたところ、兵庫少年こだま会のメンバーの一員として稽古に参加したのがきっかけだった。「何人かで来て、その中の1人。まだまだ小さかったし、相手にならなかった」。今の姿からは想像もできないが、高校生に食らい付いていく姿だけは、妙に印象に残ったという。

 たくさんのお兄ちゃんたちに転がされるのが楽しかったのか、その後はこだま会の練習がない日に1人で出稽古に来るようになった。信川氏が一二三に「どんな柔道をしたいの?」と尋ねたのは小6の時。すると勝ち気な表情で「絶対に一本を取りたい。中途半端な勝ち方ではなく、相手を投げて一本取る柔道を目指します」と言い切ったという。本来、進学するはずだった公立中には柔道部がない。「他のクラブに入って、練習はここに来たらいい」と助言したが、「それでは甘えてしまう」と神港学園近くの神戸生田中に越境入学。中学での柔道部の練習を終えた後、そのまま高校で稽古に励む日々が始まった。

 当時の一二三が多用していたのが、柔道を習うと一番最初に教わるとされる大腰。少しずつ体の力も付き、試合では「結構決まってしまっていた」ことから、信川氏は「しっかり2つ持って相手を担ぐ技を磨いた方がいいのでは?」と提案した。最大の武器となる背負い投げを一から叩き込み、中2、中3と全国大会を連覇。特に中2からの1年間は「急激に力を伸ばした。中3の全国大会は、トータル4、5分で終わった。礼をして、組んだ瞬間投げた。本当に全国大会か?と思った」というほどのインパクトだった。

 おぼこい少年が十数年に1人の逸材の気配を漂わせてきた高校時代、信川氏は一二三を逆に特別扱いしていく。王シフトに由来した「阿部シフト」もその一つ。シニアの大会前、夏場でも道場を閉め切ってストーブを焚き、一二三1人に2分交代でフレッシュな選手を当てていく。大会後の1週間は完全休養を与えた。関東や九州にも頻繁に出稽古に連れて行き、「本当にお金が掛かりました」と笑う。信川氏の母校・天理大では、一二三が憧れる野村忠宏氏に稽古をお願いし、英才教育の下で期待通りの成長を遂げた。

 世界選手権は17年の初出場から2連覇。招かれる形で現地観戦した信川氏の元に、一二三は金メダルを持参して優勝報告に来てくれたという。その度に「一二三な、それじゃないねん。俺が掛けてもらいたいのは、それじゃないから」と伝えた。幾多の苦難を乗り越えた愛弟子は、ついに掛けてもらいたいと願うメダルを獲得した。

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