【鶴竜一問一答】「パパはもうお相撲さんじゃないんだよ」 「協会の看板を背負う力士育てたい」

[ 2021年3月25日 15:47 ]

引退会見した鶴竜(日本相撲協会提供)
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 大相撲の第71代横綱鶴竜で、24日に引退した鶴竜親方(35)=本名マンガラジャラブ・アナンダ、モンゴル出身、陸奥部屋=が25日、リモートで記者会見した。

 
 ――お疲れ様でした。今の心境は
 「そうですね。何かから解放された。そういう気持ちです」

 ――引退に至った流れは
 「直前のケガもあったし、最近もずっとケガで土俵に立つことできず、たくさんの方に応援してもらっていたのでもう1度上がりたい気持ちはあったけど。体が無理だと信号を発しているようで。気持ちも切れて、中途半端では上がれないと思って引退を決めました」

 ――20年という相撲人生。どんなことが頭に。
 「16歳の若い子が夢を持って来日して、夢をかなえて、それがどんどん広がって。最後は横綱にまでなれて。人間としてもお相撲さんとしても成長させてもらって感謝の気持ちでいっぱいです」

 ――一番つらかったのは
 「横綱上がってから、ほとんどケガとの戦いだった。今思うと数え切れない思い出がある」

 ――横綱の重圧は
 「上がったときから常に肝に銘じて、常に頭のなかに相撲のことを考てやってきた。それが今、なくなって解放されて、うれしいというか。あ、良かった。ほっとしています」

 ――思い出の一番は?
 「一杯あるがこれ一つというなら関取になれた一番。そこから夢が広がっていった」

 ――平成17年秋場所、幕下5枚目で5勝目を挙げた琉鵬戦ですか?
「5枚目だったので(5勝目で)上がれるかどうか分からなかったが精一杯取った」

 ――先代師匠(元関脇・逆鉾)への思いは?
「16歳で書いた手紙を受け取ってくれて拾ってくれて感謝しかない。土俵では鬼のように、離れれば優しくと教わった。これからあいさつに行きたい」

 ――上のお子さんはもう6歳?
「子どもには“パパはもうお相撲さんじゃないんだよ”と話すと“何になるの?”と。“先生だよ”と答えたら“いいじゃん”と言っていた。一番身近で支えてくれた奥さんに感謝したい。いつも自分側にいてくれて、“私はサポートしていくよ”と言ってくれた」

 ――どんな力士を育てたい?
 「人に教えるのは難しいと感じた。ただ。押しつけになってはいけない。将来、協会の看板を背負っていく力士を育てたい」

 ――相撲人生を貫いた信念は?
 「絶対にあきらめない、というのが僕の信念です」

 ――今やりたいことは?
 「力士の時は運転ができなかった。これからできるのかなと思うと楽しみ」

 ――横綱とはどんな地位?
「上がった時は先輩方の意見を聞いて勉強した。ある時、気づいたのは鶴竜は鶴竜。鶴竜を認めて横綱にしてもらえた。ありのままでいればいいんじゃないかと。それから横綱像とかを考えず、自分らしくやれるようになった。よく7年間もやれたなと思う」

 ――4横綱時代を経験した?
「そういう存在がいたから長く取れた。2人が先輩で1人が後輩。負けないぞという気持ちの張り合いがあったから。感謝したい」

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2021年3月25日のニュース