【橋本聖子会長×二宮清純氏特別対談(2)】多くの「女性初」が示す日本の遅れ

[ 2021年3月22日 08:36 ]

対談する東京五輪・パラリンピック組織委員会の橋本会長と二宮清純氏(撮影・会津 智海)
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 二宮 昨年亡くなられたお父さま(善吉さん、享年96)に子供の頃、怒られて池に投げ込まれたという話を以前聞きました。

 橋本 今だったら考えられないですよね。

 二宮 北海道の開拓者魂を受け継いでいらっしゃる。

 橋本 父親からも、母親からもです。開拓者魂は困難な事を喜びとせよ、というところから始まっています。その開拓者魂は完全に植え付けられていると思います。父は自分も苦労するけれど、人にも苦労を与える、物凄く厳しい人でした。母は逆で、人の苦労を自分が受ける、人には苦労させない。父には申し訳ないけれど性格は反面教師。父を見ていて、気性の荒いところは受け継がなかった。人は訓練で変わることができるんだなというのはあります。

 二宮 お父さまは前回の東京五輪の開会式で目の前の聖火に感激して、「聖子」と名付けた。今回の東京五輪では組織委員会の会長になられた。これはもう天命ですね。

 橋本 天命ですね。レールが敷かれていたんだと思います。そこには森(喜朗)会長との“親子”関係、師弟関係がありました。義理の兄(元衆院議員・高橋辰夫氏、故人)が同じ清和会でしたから。その縁があって、選手の頃から可愛がってもらいました。

 二宮 96年アトランタ五輪の時には、選手と議員の二足のわらじと批判されました(注3)。日本選手団団長やJOC(日本オリンピック委員会)強化本部長の時もそうですが、「女性初」が多いですね。

 橋本 それだけ日本が国際社会から遅れていると。参議院始まって以来の出産とか。いろいろ言われますが、初めての人は逆に前例がないからやりやすい。

 (注3)自転車競技で96年アトランタ五輪を目指していた95年に自民党の森喜朗幹事長(当時)から打診を受け、五輪を断念しないことを条件に参院選出馬。現役を続けると表明したため激しいバッシングを浴び、ストレスから当選翌日に発作を起こして入院。五輪ではポイントレースで転倒して右肩を脱臼しながらも9位。

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2021年3月22日のニュース