橋本氏 夏冬7度五輪出場の“申し子”、スポーツ界で女性活躍の象徴的存在

[ 2021年2月13日 05:30 ]

東京五輪組織委 森会長辞任、川淵氏就任辞退で白紙 後任に橋本五輪相最有力

スピードスケートで五輪出場を果たす
Photo By スポニチ

 夏冬合わせ五輪に7度の出場を果たした橋本氏は“五輪の申し子”といわれる。スピードスケートで84年のサラエボ冬季五輪に初出場し、88年カルガリー大会で5種目入賞。同年9月のソウル五輪では自転車競技で日本人史上初の夏冬五輪出場を達成し、92年アルベールビル冬季五輪では1500メートルで日本女子初の銅メダル獲得と輝かしい実績を持つ。

 親戚が政治家だった縁もあり、アトランタ五輪を1年後に控えた95年に現役選手としては異例の参院選出馬を決断し、初当選。厳しい批判が集まる中で国会議員とアスリートを両立し、五輪後に現役を引退した。09年にはJOC理事に就任。10年バンクーバー冬季五輪では女性として初めて日本選手団の団長を務めた。

 スノーボード代表だった国母和宏が公式服装を着崩したいわゆる「腰パン事件」では、謝罪会見をした上で「私の全責任」として出場させることを決断。女性初のJOC選手強化本部長就任後は「人間力なくして競技力の向上なし」の考えを選手に徹底した。

 スポーツ界で女性活躍の象徴的存在である橋本氏は、招致委員会の一員として東京五輪招致にも貢献。大会成功に向けては、人一倍強い思いを持っているはずだ。

続きを表示

2021年2月13日のニュース