翔猿が描いた幼少時からの成長曲線 恩師が語る「ヤンチャだったけど、相撲は真面目だった」

[ 2020年9月27日 23:22 ]

今年1月、新年の挨拶に訪れた翔猿関(左)と記念撮影する佐久間氏
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 閑静な住宅街に囲まれた東京都・葛飾区白鳥公園。敷地内に凜とたたずむ土俵で、体と体がぶつかり合う音が響いていた。106年ぶりの新入幕Vを目指した翔猿(28=追手風部屋)が、巣立った葛飾白鳥相撲教室。当時から指導する佐久間幸一氏(70)は、稽古中に1メートル50センチほどの小学生を指し「正也(翔猿)も、あのくらいだったなあ。体の線が細くてね、ひょろっとしてたんだよ」と目を細めた。

 翔猿が、佐久間氏のもとを訪れたのは小学4年のとき。兄・拓也(現英乃海)とともに、隣町の教室から移籍してきた。幼少時は小柄で細身。決して体格に恵まれていた訳ではなく、大会でも同学年の栃丸(春日野部屋)には一度も敵わなかったという。それでも、佐久間氏は「1日も稽古を休んだことはなかった」と証言する。

 自宅から稽古場まで自転車で1時間。当時は野球と水泳も習っていたが、どれかをおろそかにすることはなかった。体調不良で学校を欠席したのにも関わらず、夕方の稽古に参加して怒られるほど。「ヤンチャだったけど、相撲は真面目だった」と話す恩師の言葉通り努力は実を結び、中学3年の全国団体戦で先鋒として初優勝。努力の末の成功体験が、今の翔猿の原点とも言える。

 入門後、伸び悩んだ時期もあった。十両で足踏みしたものの諦めず、厳しい稽古の末に1世紀以上ぶりとなる記録の扉の前に立った。佐久間氏は「番付通り。力の差はあるから」と話すも、続けて「これまでは、前に行っても土俵際ですぐ引いてたでしょ。今は前に出られる力がある」。大一番で正代相手に一歩も引かず、2度も追い込んだ姿に並々ならぬ努力を感じた。

 翔猿が小学6年に上がる頃、佐久間氏は何気なく将来について聞いたという。野球か水泳か、それとも相撲の道に進むのか。ただ、翔猿は即答した。「相撲をやります」。好きこそ物の上手なれ――。確かな成長曲線を描いてきた28歳は、まだまだ成長のカーブを伸ばし続けるはずだ。

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