追悼連載~「コービー激動の41年」その28 犬猿の仲の2人と対峙したジャクソン新監督

[ 2020年3月15日 08:00 ]

故コービー・ブライアント氏の葬儀でスピーチしたシャキール・オニール氏(AP)
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 【高柳昌弥のスポーツ・イン・USA】みなさんに質問がひとつある。身近にいる仲の悪い2人を仲直りさせるにはどうするだろう?日本人であればその2人の間に入って「まあまあ」となだめるのではないだろうか。しかし1999年シーズンから指揮を執ることになったフィル・ジャクソン監督は違っていた。

 彼は基本的に1人の方にしか向かい合わなかった。「どっちを治すべきなのだ?」。おそらくその問いを自分に投げかけての結果だった思う。チーム内で反目する2人に対して“患者”であると判断したのはシャキール・オニール。コービー・ブライアントはある意味、切り捨ててられた。

 オニールとのカウンセリングは数カ月も続いたが、指揮官はブライアントとは会話さえない日が増えた。もちろんブライアントは不満をぶつけている。かまってくれないのだから疑心暗鬼にもなるだろう。だが問題はブライアントではなくオニールの心の中にある憎悪。それを取り去ることをジャクソンは重要視したのだった。

 ブルズ時代からタッグを組んでいるテックス・ウインター・アシスタントコーチもひと役買った。ブライアントのテープを見せるとオニールは欠点ばかりを探そうとしていたが、そのひとつひとつのプレーをウインターはポジティブな言葉で説明した。このシーズン、ブライアントは右手首を骨折して開幕から15試合を欠場。だがこの不運な出来事がオニールを説得中のジャクソンとウインターにとっては幸運だった。なぜならブライアント不在のこの期間、オニールは自分にボールが回ってこないと愚痴をこぼしていたのだ。

 そしてビデオ・ミーティング…。ウインターは古いテープを見せながらすかさず「ほらコービーは君にパスを出そうとしていたんだ」と、うまくいかない現状をブライアントがいる試合との比較で説明したのだった。慎重かつ綿密に組み立てられたオニールの操縦方法。自分の得点が増えれば文句を言わないオニールの性格を見抜いての“マインド・コントロール”だったとも言える。

 怪物センターとの距離が縮まるとジャクソンは威圧的な態度も見せた。それは1999年11月下旬の出来事だった。オニールは移動中のチャーター機の中で居眠りをしていた。そこへジャクソンが近づいてこんな言葉を投げかける。「きょうの練習ではお前はぶざまだったな」。オニールはすでにプロ10年目。もうすぐ28歳になろうとしていた怪物が、NBAに入って身内のコーチ陣から最初に浴びた罵声がこれだった。ジャクソンはこの一言だけをつぶやいてすぐに立ち去る。オニールは恐怖を感じたと言う。なぜならその態度は、幼少時代に何度も怒られ、しつけには厳しかった養父を思い起こさせたからだ。「彼(ジャクソン)は自分にとって白人の父のようだった」とオニールは述懐。そう、怒ってくれたことで彼は今までの自分の愚かな部分が見えたのではないかと思う。「もっとスマートになれ、と言われたんだ。自分を守ろうとする行為が行き過ぎていたように思う。だから何かあったら数秒間、考えることにした」。キレやすくリーダーの資質に欠けていたオニールは、機内で浴びたジャクソンの罵声で目を覚ました。もちろんこの後も、様々な局面で問題を引き起こすのだが、少なくとも彼は自分の欠点を理解できる人間になっていた。

 そしてこの一件がレイカーズに変化をもたらすようになった。12月1日のウォリアーズ戦でブライアントが戦列に復帰。途中出場ながら19得点を挙げて存在感を示した。メディアからは「シャックとコービーはうまくやっていけるのか?」という質問が飛んだが、ジャクソンは「問題視していない。そんな衝突があったら我々はコービーを滅ぼしてしまう」と語って、まだ21歳だった若者を擁護。ブライアント自身への意志表示はこうやってメディアを通す形で行われた。そしてロサンゼルス市民が熱狂する日がやって来る。(敬称略・続く)

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には一昨年まで8年連続で出場。フルマラソンの自己ベストは2013年東京マラソンの4時間16分。昨年の北九州マラソンは4時間47分で完走。

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