リーチが原点の花園に帰ってくる 今も脳裏に焼き付く「特別な場所」

[ 2019年8月2日 05:30 ]

3日のトンガ戦の意気込みを語るリーチ マイケル(撮影・成瀬 徹) 
Photo By スポニチ

 日本ラグビー協会は1日、パシフィックネーションズ杯(PNC)第2戦でトンガと対戦する日本代表の登録メンバー23人を発表し、フランカーのリーチ・マイケル主将(30=東芝)の19年初先発が決まった。3月に恥骨の炎症を起こし実戦から遠ざかっていたが、7月27日のフィジー戦で7カ月ぶりに実戦復帰し全快をアピール。花園での日本代表テストマッチは13年以来6年ぶり。日本協会が「花園育ちが帰ってくる」と銘打つ一戦で、花園育ちの闘将がトンガ討ちをリードする。

 満を持して、背番号6のリーチが帰ってくる。復帰戦だった釜石でのフィジー戦は前半33分から47分間出場。「GPSのデータは悪くなかったが、ミスタックルが2回あった」と大阪府堺市での会見で厳しく自己評価したが、久しぶりの先発に向けては「少し緊張している。でも凄く楽しみ」と心を躍らせた。

 当初は3月後半からスーパーラグビーのサンウルブズで実戦感覚を養う計画だったが、恥骨の炎症により白紙に。症状は一進一退を繰り返した。6月3日のPNCメンバー発表の際、ジェイミー・ジョセフ・ヘッドコーチ(HC)は「W杯が最優先。110%、安心してプレーできるようになるまで彼を守りたい」と発言しただけに、裏を返せば先発は万全な証拠。指揮官も「ゲームタイムをしっかり与える」と80分間フル出場を期待した。

 高校ラグビーの聖地は、リーチにとって飛躍の原点でもある。札幌山の手高では3年連続で全国大会出場も、通算成績は2勝3敗。「悔しい思い出しかない」と振り返る中、とりわけ大きな屈辱を味わったのが1年だった04年度の2回戦だ。相手は後に日本代表となるWTBロアマヌらトンガ人留学生を擁した正智深谷(埼玉)。5―89と大敗し、「こてんぱんにやられて札幌に帰った」と今も脳裏に焼き付いている。

 だがその試合を境に、当時16歳だった少年の努力は加速した。タイヤ引きや大倉山でのダッシュに、食事量も激増。朝練に居残り練習と人の何倍も鍛錬し、日本代表の主将にまで上り詰めた現在の基礎をつくった。「その時が(体重)76キロ。そこから20キロ増えて、高3で100キロを超えた」。屈辱が名実ともにリーチを大きくした。

 「花園は高校生の夢舞台。特別な場所」。3度目のW杯へ打って出る前に、育ててくれた花園で恩返しのプレーを披露する。

 ▽リーチの花園出場 札幌山の手(南北海道)で04年度から3季連続出場し、通算成績は2勝3敗。1年だった04年度は1回戦で新田(愛媛)に41―15で快勝するも、2回戦で4強まで進むことになる正智深谷に大敗。13トライを許す屈辱の敗戦だった。2年だった05年度も1回戦は突破も2回戦で大工大高(現常翔学園、大阪)に0―55で零敗。3年だった06年度は1回戦で萩工(山口)に0―34と2年連続で無得点敗退となった。リーチ自身は全5試合に先発出場し、05年度1回戦の高松北(香川)戦では2トライを挙げるなどの活躍を見せた。

 ▽花園経験者 トンガ戦の登録メンバー23人では、リーチら計14人が出場経験を持っている。最も好成績を収めたのが桐蔭学園(神奈川)出身の松島幸太朗(サントリー)で、3年生だった10年度に東福岡(福岡)との両校優勝を果たした。PNCメンバー31人の中では、松島と同学年の布巻峻介(パナソニック)が東福岡で両校優勝と09年度の単独優勝を経験。FB山中亮平(神戸製鋼)は東海大仰星(大阪)で06年度優勝を経験した。

続きを表示

2019年8月2日のニュース