リーチ・マイケル主将 思いの詰まった闘いざまを見せる時が来た

[ 2019年7月27日 10:30 ]

<日本代表練習>ダッシュするリーチ(右)(撮影・久冨木 修) 
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 語る人の為人を知るからこそ、心に響く言葉がある。

 7月26日、ラグビーW杯イヤーの日本代表初戦となるフィジー戦を前に、自身も約8カ月ぶりの実戦復帰を果たす見込みのリーチ・マイケル主将は、会場のある釜石への思いを語った。

 言わずと知れた「鉄と魚とラグビーのまち」であり、2011年3月11日の東日本大震災では、約1100人の死者・行方不明者が出た被災地でもある。W杯のために新設された釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアムは、津波の直撃を受けた旧鵜住居小、旧釜石東中の跡地。そして地震当日、迅速な避難で学校にいた全児童、全生徒が生き延びた「釜石の奇跡」を象徴する場所でもある。

 「大震災の時に亡くなった方もいれば、友だちを亡くした方もいて、あとは復興を助けた人もたくさんいる。そういう人たちのためにも、勇気ある試合をして、自分たちの頑張りを見てもらい、何かを感じたらいいなと思います」

 文字に起こせば特段、特別な言葉を発したわけではないと分かる。リーチ自身が釜石を訪れたのは今回が初めてだといい、深い関わりがあったわけでもない。それでもこの言葉には真心が込められていると感じたのは、9日前のある出来事を目の当たりにしたからだ。

 宮崎合宿最終日だった7月17日。チームは予定していた練習をキャンセルし、午前中に君が代の中で歌われる「さざれ石」を見学するため、日向市の大御(おおみ)神社を訪れた。見学と参拝を終え、帰路に就く直前。チームの大村武則総務から、選手に一つのお願いが伝えられた。

 地元のラグビースクールに通っていた小6の男子児童が、その2日前に川で亡くなる水難事故が発生した。そのスクールは6月9日の日本代表の宮崎入りの際、空港での歓迎式にも訪れていたという。憧れの選手たちと交流し、心躍る夏休み直前のあまりに痛ましい事故。亡くなった児童に向けてサインを書いてあげてほしい。色紙を持参したスクール関係者の女性の依頼を、大村総務が代弁したのだった。

 思いを理解し、次々にサインをする選手たち。その様子を見ながら、1人1人に頭を下げていた女性が泣き崩れるのに時間は掛からなかった。誰も言葉を発せず、沈痛な空気が支配する中、玉砂利を歩く音が沈黙を破った。

 リーチは女性の後ろにまわってしゃがみ込むと、優しく抱え込むように起こした。そしてしばらく女性の肩を抱き、手で背中をさすった。特に言葉は掛けていなかったように思う。その後、姫野も女性に歩み寄り、背中に手を当て言葉を掛けた。トンプソンもお悔やみの言葉を述べ、神社を後にした。

 困っている人、不安に駆られる人、悲しみに暮れる人。誰もが助けてあげたいと思う。しかし突然、目の前に現れた時、行動に移せる人は意外に少ない。そんな中でリーチの行動力と弱い人に寄り添う心根を目の当たりにして、真のジェントルマンであり、日本代表の主将たるゆえんを思い知らされた。だからこそ、釜石への思い表した言葉も、心に響いたのだと思う。

 プレーの出来不出来とは別問題であることは百も承知だ。だがそんなリーチだからこそ、見る者に無言のメッセージを伝える力がある。釜石のために、いまだ苦しむ人のために。美しいスタジムを舞台に、思いの詰まった闘いざまを見せる時が来た。(阿部 令)

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2019年7月27日のニュース