朝乃山 高砂部屋に朝青龍以来の賜杯、名門再興の夜明けだ

[ 2019年5月26日 09:17 ]

大相撲夏場所14日目 ( 2019年5月25日    両国国技館 )

優勝した朝乃山(前列左)はタイを持って笑顔=前列右から2人目は高砂親方(撮影・西海健太郎)
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 朝乃山の師匠の高砂親方(元大関・朝潮)はラジオで解説しながら朝乃山の優勝を見届け「実感が湧いてきませんね。よく頑張りました。白鵬がいなかったり、新大関がいなかったり、そういう意味ではラッキーかもしれない」と話し、「自分は(優勝まで)かなり苦労したのに、大したもの」と目尻を下げた。

 朝乃山の優勝は名門再興の第一歩だ。優勝制度は1909年(明42)6月の夏場所で始まり、第1回優勝は高砂部屋の前頭7枚目・高見山。同部屋は2010年初場所の横綱・朝青龍まで、11人の優勝力士を輩出した。ただ、朝青龍はこの場所中に酒席でトラブルを起こし、場所後に騒動の責任を取る形で自ら引退を申し入れた。

 存在感抜群の横綱が角界を去ると、部屋は優勝から遠ざかった。最大危機は17年初場所。その前の場所で部屋唯一の関取である十両・朝赤龍が幕下へ陥落し、1878年(明11)の創設以来140年目で初めて関取が途絶えた。ただ、同じ場所で新十両昇進を決め、部屋に関取復活をさせたのが朝乃山だ。朝青龍が使用していた個室を与えられ、「荷物を動かせば僕が7~8人、横になれるぐらい」のスペースで相撲の研究にも時間を費やした。

 高砂親方は「まだ本物じゃないとみている。新入幕の(いきなり優勝争いした)勢いなら、もっと早く(三役に)上がってくると思っていた」ときっぱり。期待の大きさがうかがえる。令和初の本土俵で賜杯を奪還した高砂の看板を背負う25歳。三役経験のない男が刻んだ歴史は、名門復活の序章にすぎない。

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