元セルティクスのジョン・ハブリチェク氏が死去 79歳 ファイナル8回出場で8回優勝

[ 2019年4月26日 13:50 ]

79歳で死去した元セルティクスのハブリチェク氏(AP)
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 NBAセルティクスの元スター選手で、60年代から70年代にかけて出場した8回のファイナルすべてで優勝を飾ったジョン・ハブリチェク氏が25日、フロリダ州ジュピターで死去。79歳だった。死因は明らかにされていないが、ボストン・グローブ紙によれば、同氏はパーキンソン病だったとされている。

 オハイオ州立大出身のハブリチェク氏は1962年のドラフトで全体7番目にセルティクスに指名されてNBA入り。以来、セルティクス一筋に16シーズンにわたってプレーし、通算1270試合で平均20・8得点をマークした。

 1メートル96、92キロのガード兼フォワード。出場した8回のファイナルではすべて優勝に貢献し、1974年にはMVPにも輝いた。レギュラーシーズンでは在籍16季で5回フル出場(82試合)を果たし、80試合以上出場したシーズンも11回を数えるなど、ケガに強いタフな選手としても知られていた。

 球宴にも13回出場し、背番号17はセルティクスの永久欠番。1984年にはバスケットボールの殿堂入りも果たした。1965年のプレーオフ東地区決勝第7戦(対76ers)で演じた終了間際のスティールは、現在もなおNBAの歴史の名場面として有名。110―109とセルティクスが1点をリードして迎えた残り5秒、76ersはセルティクス側のベースライン際からスローインを試みたが、ハブリチェク氏は76ersのハル・グリアーが投げ入れたボールをスティールして勝負を決めた。

 1960年に全米王者となったオハイオ州立大時代の同期には、のちにインディアナ大の名将となるボブ・ナイト氏(78)や、同じく殿堂入りを果たすジェリー・ルーカス氏(79=元ロイヤルズほか)、さらにセルティクスでもチームメートとなるラリー・ジークフリード氏(2010年に71歳で死去)らがおり、多くのドラマが絡み合ったバスケ人生も注目を集め続けた。

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