日本柔道界で育った安昌林 東京五輪を目指す特別な思い

[ 2018年10月6日 10:38 ]

安昌林
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 恩師と教え子、本当ならば感情のリミットを切って喜び合いたかったのだろうが、互いに遠慮気味に握手を交わし合い、師は短い言葉で祝福した。それぞれの立場ゆえ、ミックスゾーンという公の場では仕方なかったのかも知れない。それでも遠目で見ていても、2人の深い絆を感じられるシーンだった。

 9月下旬の柔道世界選手権(アゼルバイジャン・バクー)の男子73キロ級で、在日3世の安昌林(アンチャンリン、韓国)が決勝で前年覇者の橋本壮市(パーク24)を破って初優勝を果たした。京都で生まれ育ち、神奈川・桐蔭学園高―筑波大と進んだ日本柔道界育ちの24歳。筑波大時代は増地克之・現女子日本代表監督の指導を受け、韓国籍を選択する決断をしたのも大学時代。最も強く引き留めてくれたのも増地監督だという。冒頭のシーンはこの2人のやり取りだ。

 それにしても強かった。8月下旬のアジア大会(ジャカルタ)では決勝で大野将平(旭化成)に敗れて銀メダル。それからわずか3週間後、「運が良かった。強い選手が(自分と対戦前に)みんな負けたのが大きい」と控えめに話したものの、橋本から完璧な一本を奪った。準決勝で頭を強打していた橋本が万全の状態ではなかったことを差し引いても、今回の勲章は色あせない。アジア大会の敗戦から気持ちを切り替えられず、SNSを通じて交流を深めていた08年北京五輪男子100キロ超級金メダリストの石井慧から『切り替えなくていいんじゃない?切り替えずに、どこまでやれるか試せば』と助言を贈られ、「肩の荷が下りた」というエピソードも興味深かった。

 安昌林1人に留まらず、アジア大会と世界選手権を取材して、日本と深いつながりを持つ多くの選手や指導者と出会った。女子57キロ級で3位だった出口クリスタ(カナダ)しかり、ブラジルの男子代表監督を務める藤井裕子氏しかり。特に選手にとっては、国際大会出場には国籍選択という大きな覚悟を伴う。山梨学院大出身で、今も母校に練習拠点を置き、日本生命に勤務しながら東京五輪を目指す出口が「自分が日本から(代表を)変えて、カナダにしたことで負い目を感じるのではなくて、プラスにしてやっていけたのは良かった」と振り返ったように、内なる葛藤もあっただろう。だからこそ、彼らの下した決断は尊重されるべきだと思う。

 そして日本の立場から見れば、彼らが東京五輪で日本選手の大きな壁になることは間違いない。安昌林の場合、筑波大時代は先輩である秋本啓之氏(現女子日本代表コーチ)の背負い投げを手本にしたが、「秋本さんの背負い投げは真似したらケガする」と断念した。それから韓国に渡り、宋大南がソンデナム「コーチにあらゆる方向へ投げる技術を教わったという。今では長所を「全方向、どの体勢でも担げること」と自己分析する。出口にしても今回の出場権を獲得するため、今年は2月から急ピッチで大会に出場し続け、世界選手権が7大会目だった。これは日本のトップ選手ならあり得ないハイペースぶり。世界ランキングが上がり、出場大会数を絞れる来年は、大きな大会にピークを合わせてくるはず。そうなれば準決勝で出口を破って初の世界女王となった芳田司(コマツ)にとっても、より大きな脅威となるだろう。

 日本柔道界で育ち、おのおのが選択した国でさらに力を伸ばす、いわばハイブリッドな選手たち。東京五輪を目指す彼らの思いもまた、特別なのだ。

(阿部 令)

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2018年10月6日のニュース